小学生も憲法違反の訴訟を起こせるコスタリカ

コスタリカでは議会議事堂も質素
 「小学2年生の少年が放課後、サッカーに興じていた。ボールが校庭そばの川によく落ちた。柵がないからだ。夢中になればボールは川に落ちる。これは遊ぶという自分の権利が守られていないと、訴訟し子どもが勝った。国は柵を後日つくることになった」これは、物語の一節ではない。コスタリカの日常である。

 コスタリカでは小学入学時に、徹底して基本的人権を教える。子どもたちに理解しやすく、「人は誰でも愛される権利がある」というふうに。少年たちは、サッカーに興じる環境が十分でない現実を、自分は愛されていないと受け止めたわけである。

 最高裁の、違憲訴訟の窓口「憲法小法廷」は1日24時間、1年365日、休みなく開いている。年間1万5千件を超える違憲訴訟が行われている。自分の自由が侵されたとか束縛されたと思うなら、だれでも違憲訴訟できる。
  本人でなくてももいい。弁護士も、訴訟費用もいらない。訴えの内容を書けばいい。決まった書き方などなく、「新聞紙の端切れ」でもいい。パンを包んだ紙に書いた人もいた。ビール瓶のラベルの裏に書いた人もいた。わざわざ窓口に来なくても、ファクスで送ってもいい。最近は紙に書かなくてもよく、携帯のメールでも受け付けるという。訴えるのは外国人でもいい。小学生も憲法違反で訴えるのだ。こんな制度を作る議会を持つ国民は、幸福である。この国は、軍隊が無いだけではない。軍隊を廃止した思想と文化が根付いている。

 ある小学校に隣接する施設で、ゴミ大量投棄で汚染が広がった。臭いがひどく、落ち着いて勉強もできないし校庭で楽しく遊ぶこともできない。そう思った生徒が「私たちの学ぶ権利が侵された」と違憲訴訟に訴えた。
 最高裁はこれを妥当な訴えだと取り上げ、子どもの環境に対する権利を認め、投棄したゴミを回収し、以後の不法投棄をやめるよう判決を下した。

 別の小学校では、校長先生が校庭に車を停めたために遊ぶ範囲が狭くなったと子どもたちが訴えた。最高裁の判決は、校庭は子どもたちが好きなだけ遊ぶ場所だと定義し、校長の行為は子どもたちの権利を侵害したとして、校長に車をどかすよう命じた。
 「ささいな」ことのように思えることでも、権利の侵害はいささかでも放置しないという意識が根底にある。

 もちろん重大な違憲判断も行う。国会で審議中の税制改革の法案が取り上げられ、正当な審議プロセスを経ていなかったとして違憲の判断が下ったこともある。
 2003年に米国がイラク戦争を始めたとき、当時のコスタリカの大統領は米国の戦争を支持すると発言した。このため米ホワイトハウスのホームページにある米国の有志連合のリストにコスタリカが載った。これを見て大統領を憲法違反で訴えたのが当時、コスタリカ大学3年生ロベルト・サモラ君。「平和憲法を持つ国の大統領が他国の戦争を支持するのは憲法違反だ」と訴えた。
 1年半後、彼は全面勝訴。判決は「大統領の発言はわが国の憲法や永世中立宣言、世界人権宣言などに違反しており違憲である。大統領による米国支持の発言はなかったものとする。大統領はただちに米国に連絡しホワイトハウスのホームページからわが国の名を削除させよ」というものだ。大統領は素直に判決に従った。
  大統領を訴えたロベルト・サモラ君はコスタリカの韓国大使になった。facebook人権教室
          
 中央区議会議員 志村たかよし氏(共産党)やフリー・ジャーナリスト伊藤千尋氏のblogを参照した。

追記 大阪の不味い給食、死者や怪我人の出る体育や運動会、車で危険な通学路、遊び場のない保育園などは、コスタリカの常識では子ども自身が違憲訴訟を起こすべき事例である。幼稚園や保育園に入れない子ども、子どもの貧困、受験地獄、高い制服、茶髪禁止による被害・・・すべて、今までとは異なった観点からの闘いが期待できる。

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