赤だろうが黒だろうが禿げていようが、問題はその中身と心。 |
学校は、原告代理人弁護士に「茶髪の生徒がいると学校の評判が下がるから」だと説明、さらに「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる」とまで言っている。今年度の生徒名簿に女子生徒の名前を載せておらず、教室には席もない。
参加させない修学旅行のキャンセル料金まで請求する神経は、ナチスが抵抗者たちを銃殺しておいて、死刑執行の費用を家族に請求した血も涙もない仕打ちを想い起こさせる。
「評判が下がる」とは、茶髪禁止を求める声が寄せられているということだろうか。大抵は経験の浅い教師の勝手な思い込みに過ぎない。
一学年が10学級もある高校で担任をしていた時のことである。学区域が非常に広いため、学級PTAをいくつかの地域に分けて行ったことがある。平日の夕方から、公民館だから、仕事のあるお母さんも参加した。校長も面白がって加わった。司会は学級PTAの世話役にお願いをした。僕はこんな時、学校からの連絡などは一切しない。
いきなりだったと思う。あるお母さんが
「制服をきちんと着せてくれませんか、校則通りに」と言う。毎朝親子の言い争いがあって閉口しているらしい。親が嫌なものは、教師も嫌なものだ。朝から生徒も教師も不快になる。
「僕は、憲法や子どもの権利条約を教えています。人権の概念は特に丁寧にやります。服装は表現の自由の範疇に含まれます。たとえ国家権力であっても奪えないのが人権だと教えていながら、服装や頭髪を制限する行為をやっていいものだろうか。僕はいつも悩みます。自分で教えたことを自ら裏切る。それは教師として絶対にやってはいけないことだと思っています。皆さんのご意見をいただきたい」お母さんたちにとっては、意外な展開だったらしく、しばらく戸惑いがあった。
「先生が、隣に校長先生がいらっしゃるのに、言い辛いことを言ってくださったので私も正直なところを言います。私は、娘にもっとかわいくなって欲しいと思って、いつもシャツの襟に刺繍のあるものを薦めています。いつか担任の先生から叱られると心配していましたが、今の話でホットしました」この発言を切っ掛けに座が和やかになったので、司会と相談してしばらく自由に歓談してお茶を飲むことにした。いくつかのグループになっているところを僕も校長も聞いて回った。最初のお母さんは、いろいろな意見があることに安心して、「今度は、カリカリせずにこれも似合うわよと言おうと思います」と言っていた。話が弾んだので最後まで中断しないことにした。
「都立高校で一番偉いのは、誰だという話を授業でします。ここにいる校長ではありません。校長を選ぶ教育委員会でも都知事でもありません、都知事を選んでいる皆さんです。校則も教員が一方的に作るのではなく、生徒や一番偉い父母の意見を反映させなければなりません」とまとめた。
服装や頭髪への親からの要望の本音を聞く必要がある。評判はいわば「現象」に過ぎない。その裏には生徒と親の実態がある。少なくともそこにまで掘り下げる努力を惜しんではならない。
事前によく調べて、学校を選ぶべきだと言う。しかし選択するとはどういうことだろか。現にこの高校も、裁判に訴えた生徒に「黒く染めるか、学校をやめるか」と選択を迫ったのである。この国に自由な選択は存在しない。
生徒や父母か望んでいるのは、学校の評判ではない。 生きた高校生の溌剌とした姿と穏やかな家庭の日常である。それを破壊することを、学校も教師もしてはならない。僕はそれを、平凡な人権と呼びたい。
新出去定や眠狂四郎が、何も言われないのは強いからである。「子どもの権利条約」や憲法の授業は、君たち高校生を強い意志を持った主権者にするためにある。
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