嘘に塗れた戦争 1

 イラクのフセイン大統領はアルカイダ嫌いだった。大量破壊兵器を持っていないことを証明するため、国連査察団に調査もさせ、結果は“シロ”。にもかかわらずアメリカは「48時間以内に大量破壊兵器を出さなければ攻める」と最後通牒を突きつけ、攻撃を開始。後から「中東を民主化しなければ」という理由を出したが、親米政権の独裁国家、サウジアラビアやクウェート、アラブ首長国連邦の民主性については触れないまま。イラクそしてアフガン攻撃の発端となった9.11事件も、アメリカの自作自演である可能性が高く、それを告発するサイトは既に山ほどある。戦争のための“嘘”は、アメリカの“お家芸”である。

・1898年、キューバに派遣された米戦艦メイン号は、ハバナ湾で突然爆発して沈没。250人の米国人乗組員が死亡。米国政府は、それをスペイン軍砲撃のせいにして、スペインとの戦争に突入。その結果、米国はキューバ、プエルトリコ、フィリピンを手にいれている。
 最近の海底調査で、メイン号はボイラー事故か火薬庫の暴発で内側から爆発したことが判明。スペイン軍の攻撃ではなかったことが、科学的に証明されている。

・1915年、第一次世界大戦中の1915年5月7日、アイルランド沖を航行していたイギリス船籍客船ルシタニア号がドイツのUボートから放たれた魚雷によって沈没。アメリカ人128人含む1198人が犠牲となった。この、ドイツの“野蛮な”攻撃に対してアメリカの世論は沸騰。それまで中立であった米国議会でも反ドイツの雰囲気が強まっていき、第一次世界大戦に参戦。10万人以上の米兵を戦死させた。
 ところが、積み荷の保険金請求裁判の目録には船倉に173トンの弾薬があることが記入されており、当時の国際法に照らし合わせるとルシタニア号は攻撃を受けても致しかたなかったことになる。しかしウィルソン大統領は弾薬の積載を認めず、目録を「大統領以外は開封禁止」という命令書を添えて財務省の倉庫に保管させていた。
また、最近の海底調査で沈没したルシタニア号が発見され、その船内には違法の武器と火薬が積載されていたことが判明。やはりルシタニア号は当時の国際法に違反していたことが証明されたのである。

・1964年、北ベトナム沿岸をパトロール中の米駆逐艦に北ベトナム哨戒艇が攻撃を加えたと言い募り、ジョンソンは、“報復”と称して米軍機による北ベトナムへの爆撃を断行。米議会は、大統領の求めに応じて、事実上、大統領に戦争拡大の白紙委任を与える“トンキン湾決議”を採択。ベトナム戦争は以後一気に拡大。 
 1971年、ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者が“ペンタゴン・ペーパーズ”と呼ばれる機密文書を入手。トンキン湾事件はアメリカが仕組んだことを暴露した。後に、当時の国防長官ロバート・マクナマラも、に『回顧録』(1995年)で「北ベトナム軍による8月4日の攻撃はなかった。トンキン湾決議によって与えられた権限を大統領は極端に濫用した」と告白した。


 「われわれヨーロッパ人にとって、人種差別的ヒューマニズム以上に筋道の通った話はない。なぜならヨーロッパ人は、奴隷と怪物を拵えあげることによってしか、自己を人間とすることができなかったからだ」
     ファノン『地に呪われたる者』サルトル序文

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