武器を買ったから敵を探そう、いなければ作ろう

 左の写真は、若松機関区で写生をする小学生。女子二人は早速腰を下ろして筆を動かしている。二人の男子は機関車に圧倒されっ放しで落ち着かない。右端の子はスケッチに来たことすら忘れて、画板を頭に乗せてしまっている。
 写生を終えて教室に戻ったとき、女子は完成した作品を出すだろう。男子は長い観察の挙げ句、例えば連結器をようやくかたどっただけかもしれない。ひょっとすると描きたい物が絞れずに白紙だったかもしれない。担任は雷を落とす。


 だがゴッホが、変化して止まない色と光に圧倒されなければ、「星月夜」は生まれない。ゴッホ自体が生まれない。写生とは対象をありのままに写し取ることだ。大きな貨物船や列車の行き交う工業都市若松の子どもであっても、目まぐるしく動く機関区には圧倒される。長距離の牽引から帰ったばかりの機関誌も、火を入れて出発の準備を始めた機関車も、火を落として釜を掃除中の機関車も、給水中の機関車も、機関誌と機関助手や整備士とともに様々に行き交っている。全体を把握するには半日では足りない。興奮状態は夜になっても続き、早起きして早朝の機関区を見に行ってしまう。お陰で遅刻して居眠りして又叱られる。 
 学校は教師の意図を越える動きを喜ばない。指示通りに動くことを求める。

 ある年、二年生が文化祭である企画をした。既存の商品を組み合わせ加工して販売した。1日目の午前中に売り切れてしまった。評判を聞きつけてやってきた小学生が、がっかりして帰って行くのをみて直ちに追加することを生徒たちは決定。担任は怪我で入院中だった。独断で仕入れて加工して再び販売し始めた。又なくなりそうになってきたが、文化祭本部が「企画書にないことをやつてはいけない」と官僚的に即時中止通告、文化祭担当教師も怒った。
 「どれだけの量を準備すれば良いか、計画出来なかったのがいけない」というわけだ。デパートでも自動車会社でも「想定外」は常にあって追加生産・販売する。計画経済が破綻したわけである。

 政府も「想定外」を乱発して追加予算を決めてしまう。経験の乏しい生徒たちだけに、企画書どおりの計画経済が強制される。逆転している。

 昭和天皇は、出来たばかりの日本国憲法99条にあからさまに違反して国事行為を断行。「天皇メッセージ」をマッカーサーに送り自分の地位と沖縄の基地化の交換を懇願した。にもかかわらず天皇制と基地は続いている。
 原発の重大極まる地球規模の「想定外」事故はいとも簡単に許され、被災者の苦難は「自己責任」と言わんばかりに放置される。
 高校生が文化祭で、僅かばかりの見込み違いをすれば居丈高に「中止」が通告されるのだ。

 教師や大人の浅薄な意図を越えるから、少年は成長する。大人の意図通りの青少年だらけにになった社会は
衰退し破滅する。

 「肖像画にまちがって髭をかいたので、ほんとに髭をはやすことにした。門番を雇ってしまったので、あとから門をつくることにした。
 本質が存在に先行しているのが「学校」の実体です。「本質」にあわせて、無定型の若者たちを、型に押し込めようとしているのです
」              寺山修司


 武器を買ったから敵を探そう、いなければ作ろう。まさに日本はその最中。駅で手荷物検査する構想が始まった。テロを未然に防ぐとの触れ込みだが、テロを誘発するものでしかないことに気付く必要がある。それが片側にだけ立って考えるのではなく、常に両側に立って考えてみる公平さ」である。政治・経済や現代社会の教材にいい。

 
 

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