武器を捨てれば「自由」になれる。自由を守ることで、敵をつくらない。『針谷夕雲』

  針谷夕雲は、数ある江戸時代の剣客の中で、武蔵や柳生十兵衛などを抑えて、最も強いと言われてきた。しかし、謎の多い人で、弟子の小田切一雲がまとめた『天真独露』以外にあまり手掛かりがない。僕はよく授業で取り上げた。「強い」ことの本質を、よく捉えていると思うからだ。
 彼は、剣を捨てた。だが最も強いのである。だから、様々な作家が取り上げている。ここに引用するのは、有馬頼義 日本剣客伝『針谷夕雲』である。
 故あって、彫り物師となった夕雲と、弟子・小田切一雲の極意「相ぬけ」に関する遣り取りである。主に夕雲の言葉を示したが、必要に応じて一雲の応答も入れた。


夕雲「今までの剣術は、強い者が勝ち、弱い者が死ぬ。同じ腕なら相撃ちになって両方死ぬ。これが畜生心だ」
夕雲「おれは、自分の父親を殺してからは、たたかわずして勝つことを、子供の時から考えていた。しかし、たたかわずして勝つためには、禅しかない。これは教えだ。剣術ではないだろう」
夕雲「しかし、たたかわずして勝つことよりも、もっと前の段階で、たたかう相手をつくらぬことを、考えたらどうか」
夕雲「それには、他人を相手にしてはだめだ。自分を相手にすることだ」
夕雲「人は、相手に立ち向う前に、必らず己れ自身に問いかけるものだ。やるべきか、勝てるだろうか、相手が強かったらやられる・・・」
夕雲「いつか、おれが女を抱いているとき、お前はおれに仕かけようとして、おれを見失ったと云ったな」「あれよ」
夕雲「おれは、最初は、お前を意識していた。しかし、そのときは、おれの心は女を抱くことだけに集中していた。女も、そうであった。つまり、おれも、女も、そこにはいなかったのだ。これが相ぬけの半分の理屈だ」
一雲「あとの半分は?」
夕雲「つまり、もう一人のおれを、つくることだ」
一雲「は? そうすると、先生の流儀から云うと、相手も夕雲流でなければならないことになります」
夕雲「出来れば、な。しかし、実際は、一人対無数だ。だから理想的に云えば、人間のすべてに、この理屈をのみこませたいが、そうは行かぬ。しかし、おれ自身が、たたかいの場から消えることは出来るだろう。武器を持たず、たたかう意志もなく、ただそこにいること、それを相手に斬り合いが出来るか」
一雲「そうすると、形の上では、武器を捨てることが第一になりますが・・・」
夕雲「そうよ。しかし、一生それで通せるものでもあるまい。試合をしなければならないときもあるだろう。剣術の型として、武器を持つことを禁ずるわけにはゆかない。しかし、その武器は、相手を倒すための武器でも、自分を守るための武器でもないとしたら、それは型としてはあってもたたかうための武器ではない」
一雲「先生に伺いますが、先年来お話しております、私を敵としてねらう者が現れたとき、私はただ立っていればよいのですか」
夕雲「その通りだ」
一雲「斬られますよ。相手は先生のように悟ってはいない、畜生心です」
夕雲「かまわん」
一雲「先生は、かまわんでしょうが、私には、まだよくわかりません」
夕雲「お前は、竹光をおれに注文したではないか」
一雲「その理由は、お話しました。しかしそれは、相手が、私よりもまさっているとは思えぬからです」
夕雲「それが畜生心だ」
一雲「しかし、そんなものと、たたかいたくないからです」
夕雲「たたかいたくない、というのは、たたかうという意志の裏返しだ。おれの云うのは、もっと深いぞ」
夕雲「お前は、相手の敵から身をかくすために、非人小屋におるのではないだろう」
一雲「その方が、自由だからです」
夕雲「それだよ。自分自身が、自由であることが大切なのだ。自由を守ることで、敵をつくらない。女が、月のものがあがってから、愉悦することが多くなった、ときいて、おれは自信を持った。あれが、畜生心からの解放だ」
一雲「ははあ、そういう意味でしたか」
夕雲「隙、ということをよく云う。剣術での隙は、意識の上で、守りをかためることだ。おれは、人間が、自由で、好きなことに熱中している状態が、隙のないすがただと思う。たたかう意識そのものが、隙を生む」



 有馬頼義が、夕雲に語らせている言葉が秀逸。「それだよ。自分自身が、自由であることが大切なのだ。自由を守ることで、敵をつくらない。女が、月のものがあがってから、愉悦することが多くなった、ときいて、おれは自信を持った。あれが、畜生心からの解放だ」
 「人間が、自由で、好きなことに熱中している状態が、隙のないすがただと思う。たたかう意識そのものが、隙を生む」
 常備軍を廃止して、コスタリカは自由になり、教育に予算を回した。
 有馬頼義は映画『兵隊やくざ』←クリック の原作『貴三郎一代』を書いている。権力による暴力を心底憎んだ作家である。素手のヤクザ大宮とインテリ有田上等兵が、兵営の理不尽極まる暴力支配に徹底的に反抗する。名家出の有田上等兵には、有馬頼義自身が投影されている。

追記 「たたかう意識そのものが、隙を生む」は、我々に向けられている。受験戦争や部活の勝敗に少年たちの意識を組織して「自由で、好きなことに熱中」することを妨げている。
 部活は、「好きなこと」と反論があるかもしれないが、有馬は自由で、好きなこと」と、自由を強調している。部活や受験地獄に、自由はない。それを生きがいにする教員にも、自由のあろう筈はない。「たたかう意識そのもの」によって教育そのものに「隙を生」じせしめているからである。

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