続 誰に許されて教壇に立っているのか

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 「ある生徒が、「あ、社会科か、スリーピングタイムだ」と聞こえるように言ったので、かなりこたえています」若い同僚の嘆きである。
 僕らはそんな生徒を学習に誘うに相応しい学校をつくっているだろうか。相応しい教師であるだろうか。彼ら生徒は何のための学校に来るのかを疑っている、疑わねばならない。疲れては寝るを繰り返すのは、彼らにとって授業が監禁拷問になっているからではないか。僕が今その現場にいるならどうするだろうか。考えているだけで、鬱になりそうだ。休むことを考えてしまう。 
 教師に成り立ての頃、「若さは教育力」と方々で言われた。授業の場面から若さを次々剥ぎ取って残るのは何か。 山形県の基督教独立学園の百歳の先生を思い出した。「老いの教育力」という言葉がたちまち浮かんだ。70年代だったと思う、書道のおばあちゃん先生を生徒が職員室に迎えに行く。老いを学ぶかのように高校生が手を引いてゆっくり歩く。僕たちは老いた教師の姿を生徒たちに見せることが出来ない。
 「老いた労働者」は授業の重要な主題でなければならない。「生涯現役」が語られる時、そこに現れるのは単純労働力としての年寄りである。だから、定年は延長してやるから賃金は割り引くのである。
 学校内では若い教師にも仕事盛りの教師にも老いゆく教師にも一律の振る舞いを、無言のうちに強制して「平等公平」と言っている。画一・均一を平等と言ってしまう知性の軽薄さが、教師に目立ち始めた。田代三良が言った「教師の力量の低下」はここにも現れていた。

 80年代迄、若い教師、壮年の教師、老いゆく教師、それぞれのリズムがあった。50歳にもなればクラブの顧問からはずれるのは当然であり、若ければ複数のクラブを引き受けた。年寄りが「まだやれるよ」と言っても、教室と職員室の往復にも休みを必要としていたのだ。職員会議で一律に割り当てられた仕事(例えば空き時間に廊下やトイレを巡回して吸い殻などを回収する)、は「僕たちがやります、先生はここで休んでいてください」と準備室に招き入れた。
 若きも老いも、三年間の担任を終われば、しばらく校務分掌なしで授業と研究に専念した。豊かな老いは、自覚的に蓄えねばならない。放置すれば、劣化するだけである。
 生涯学習、生涯現役とは老いゆく肉体の酷使にすぎない。 高校生が好奇心豊かに大胆に失敗するのに、老教師は体験に満ちた知的豊かさを指導に生かす場がない。画一性が、それぞれの年齢に相応しい振る舞いを封じている。

 70年代、若い僕らは、空き時間、放課後、勤務時間外、老いた教師に学んだ。老教師たちは僕たちの失敗や質問を待ちかまえるようにして、語った。居酒屋にも誘った。大学の教職科目や実習などの遙かに及ばない生きた教育学であった。謂わば即席の擬OJTであった。OJTと違うのは命じられた職務ではない事だ。それ故若い僕らには、自主性自発性が培われた。どの学校にどんな先生かいて、どんな経験を蓄えているのか、案内書があるわけではない。自ら探るしかない。時には、年配の教師や校長が自宅に誘って丸一日語ってくれることもあった。読書会や校内教研はその中から生まれた。機械的画一的役割分担は、豊かな経験を用済みのゴミのように捨て、若い好奇心と向学心までも潰してしまった。

 教材研究を、無能な教師のすることと思っている教師がいるという話も聞いたことがある。自らの内なる体験を演繹する事も、職場の経験を帰納することもないのか、気が滅入る。世代の文化を伝承する学校の機能が、肝心の足下で失われていく。教育労働はもはやないのか。直ちに派遣労働に切り替えられてしまう。この状況は、遅れた底辺の出来事ではない。崩壊する教育文化の、最先端なのである。階層性を失った社会はフラグメント化する、その先端なのである。もはや、東大や早稲田にセツルメントが復活することもないだろう。青年学生共闘という言葉も遠い死語となった。

 他方では、「遅れた知的難民」の問題は、工夫次第でなくなると謂わんばかりに、行政は教育産業への予算措置に夢中で、現場の実態には目もくれない。

記  70年代のことだ。僕は教員組合青年部合宿で
 「もう、賃金要求は少なくとも僕には十分だ。制度要求にも力を入れて欲しい。例えば、ドイツでは勤続年数に応じて長期研修がとれる。一年通して取ることも可能だ。無給なら更に延長できる。そのほか、我々自身が学べる体制を要求する」
  と発言して、猛烈な反発を浴びたことがある。「まだまだ、賃金は低い・・・日和見だ・・・」
 今、過労死を招いている長時間勤務を我々が阻止できなかったのは、賃金要求一辺倒だったからではないかと悔やんでいる。通勤時間を片道20以内に、倶楽部活動は地域に、入学式や卒業式は廃止も含めてそのほかの行事共々見直す、生徒の学校運営参加、定期試験廃止、入試廃止・・・たくさんの要求があったはずだ。量を問題にするのではなく、構造を問題にすべきだったんだ。
 全てを量だけで捉えていた。我々には「ずらす」して見るという教養を持てなかった。


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