主権者は票を入れるだけかい

  「○○党は国民年金保険料を○×円以下に下げます」と街宣車が回っている。確かに下げねばならない。しかし、こう言うべきである。「・・・という経緯で年金保険料は、低所得者に対して不当に高い水準を維持してきました、外国では・・・。保険料を引き下げさせる潮流を作りましょう。・・・」
  「我が党は・・・します」は主権の有りどころを心得ているとは言えない。

 1968年の大学闘争の中で、学生たちに悲しい傾向が現れたことがある。闘争代行主義である。その期待は授業と試験がつぶれることにあったから、ストや封鎖は過激で長いにこしたことはない。セクトの中にも、それにのって支持を集めようとする傾向が現れた。それが政府や大学当局に読まれない筈はない。何しろスト突入と共に、大学から学生が減ったからである。旅行やデートが悪いわけはない。問題は旅行のためにストを待望する、ストや行動そのものはセクトに丸投げすることである。

  あの頃福祉国家への拒否感が社会にあって、社会福祉に消極的な風潮があった。修正資本主義は帝国主義・新植民地主義の隠れ蓑というわけだ。アダムのイチジクの葉という言い方もあった。

  国民年金保険料が月額16490円の定額制なのは、官僚の利権確保にかかわっている。
例えば、日本と同じ構造の年金制度(二階建て)を持つ、英国では所得に応じた保険料を徴収するシステム。最低は日本の十分の一、日本でも自営業者の所得を捕捉している国税庁が保険料を徴収すれば可能だが、やらなかったのは社会保険庁が徴収権を奪われたくないからに他ならない。
 次のような怪しからん遣り取りが社会保険庁内にあった。
 低所得者の国民年金保険料を外国並みに低く抑えずに、一律に高い保険料を徴収すれば膨大な余剰が発生する。引き下げるべきだという意見を抑えたのは、幹部の企みであった。
 「この膨大な積立金で・・・財団とかいうものを作って、・・・そうすると厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと。・・・年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない。・・・将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式(税金方式)にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ・・・」 1988年「厚生年金保険制度回顧録」
  発言者は戦前の厚生官僚 花澤武夫。彼が、厚生年金保険制度を考えたのは国民福祉の向上ためではない。膨大な資金を戦費として流用するためであり、これはナチの政策と軌を一にしていた。
  この本を巡る遣り取りが、第159回国会の予算委員会(2004.3.3)で行われている。  http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001815920040303018.htm#p_honbun
   (問題となる部分は、海江田万里議員の質問に対する回答にある。ずっと下のほうにスクロールする必要がある)

 民主党の求めに応じて社会保険庁がまとめた資料で、厚生年金と国民年金の保険料のうち年金給付以外に使われた「流用額」の詳細が明らかになった。1952~2007年度の累計で6兆7878億円に上り、グリーンピアなどの建設に年間1000億円以上を投入した時期もある。
 これは国民に対する背任、則ち犯罪である。関係者は少なくとも終身刑、財産は遡って没収されるのがまともな国である。対立する立場に有り辛酸を嘗めた者が、新たな政策責任者になるのが立憲国家である。我々は、政府による国民への背任を自ら裁いた経験はない。国民を過剰に敵視する法は量産するが、国民を陥れる政府を罰する法も独立機関も持たない。こういう国では、デモやストライキ、集会や出版は、他国に増して重要である。

  政治的信念ではなく議席だけを求めて離合集散を繰り返し、公約違反を平然と行う諸政党。主権者は、その口車にのせられて投票だけすればいいのかい。

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