いじめをなくすために 1 自力で解決する帰国生

  H高校には、中国帰国者の為の特別枠がある。通常の授業は普通の学級に属して受けるが、国語や社会科などは、「取り出し」授業といって、帰国生だけの小クラスを編成する。
 例えば、「けんり」と日本語で発音すると、帰国生は、「権力」「権利」の両方を思い浮かべてしまう。両方共に中国語では「ケンリー」と発音するからである。同じ文字を使うからこそ、注意を要することがある。
 彼らは、中国では日本人として少なからず辛い思いもし、父や母を引き取り育ててくれた中国人祖父母への深い敬愛と恩義もある。日本では、中国人と呼ばれまた辛い思いに沈む。
 僕は彼らと初めて出会ったとき、先ず出身地と中国名を聞いた。気を遣って日本語風に発音してくれるのだが、それを僕は中国語で発音してみた。忽ち彼らの表情が緩んで「先生、中国語出来るの」といいながら立ち上がって教卓を囲んだ。嬉しそうな表情の中に、孤立した寂しさを引き摺って暮らしてきたのだ。
 中国全土の地図を壁に貼り、印を付けながらひとり一人話を聞いた。教員の中には、一日も早く日本に同化させるべきだとする傾向が強かった。何故なら、日本のほうが優れているという。
 しかし日本人になろうと、中国人であろうと、混血の華僑であろうと、それは彼らが生活の中で主体的に選び取ることである。いずれであっても尊重して援助しなければならない。
 ある日、帰国生女子がいじめを訴えてきた。こんな時、教員には個室が必要だとつくづく思う。大職員室では、相談出来ないことはあまりにも多い。
 「毎朝、昇降口で男子が数人で待ちかまえて、お前発音変だぞ。中国に帰れよ。なんて言うの。いじめでしょ」
  「いじめだね。他にもあるかい」
  「ある。団地の広場で友達と話していると、必ずお巡りさんがやってきて、帰りなさいと言うのよ。必ずよ。見張られているようで気持ち悪い」
 「両方とも、何とかしよう」
 「待って、先生、話せてスッキリした。自分でやってみる。駄目だったら、助けて」そういって帰った。
 二日後
 「うまくいったよ。昨日はね、私が先に行って待ってて、言ってやったのよ。「おはよう」って」
 「ほう、それは面白い」
  「でね、「私、○年○組の△山××」 あなた名前はって聞いたの」
  「いい度胸だね、君らしい。それで名乗ったのかい」
  「名乗った。だから私言ったの「□◇君、あんた男でしょ、男なら、私に文句あるんだったら一人で言いなさい。それから挨拶もしましょ」 今朝、□◇君が一人で待ってて、おはようって。なんだか照れてたよ」
  「素晴らしい、君らしいね。中国ではいじめは、大人や教師抜きで解決するのかい」
  「うん、大人や先生に言う前に何とかすることが多いよ」
  「喧嘩にならないかい」
  「小さな子なら喧嘩しちゃうこともあるけど、いつの間にか仲良くなっちゃう」
 
 彼女の日本人男子に対する姿勢は、剣道の正眼の構えのようで格好いいと思う。日本の教師が外国で教えることになると、殆ど例外なく「起立・礼」を教えて得意がる、世界に誇る日本の習慣だと。
 中国でも「起立・礼」はない。帰国生が正眼に構えたような挨拶をして、それに対して武士道の国の日本人生徒が、毎日毎時間号令と共に挨拶を繰り返しているのに、このざまだ。挨拶は号令でするものではない。必要に応じて人間関係を作るために、個人の判断と決意で行うものなのである。号令でやれば、判断も決意も育たない。つまり、挨拶がひとり一人の中で概念化されないのである。

 僕は中国で幼稚園を通りがかりによく覗く。面白いから、長く見ていることもある。
 保母さんが複数で子どもの遊びを見ているのだが、大抵お喋りしながらだ。子どもだから、すぐもめ事が始まる。喧嘩にもなる。泣くこともある。だが保母さんが手を出すのを見たことはない。揉めていると、先ず他の子がやって来ていろいろなことをする。それが面白い。時には数人が入れ替わり立ち替わりやって来ることもある。なだめたり、モノを持ってきてあげたり、頭や背中をなでたりしている。止めに入った同士が喧嘩したりもする。珍し気に見ながら通り過ぎる子もいる。繰り返し来る子もいる。泣かされた子を連れて行く子もいる。そしていつの間にかまた遊び始める。その間、保母さんたちの目は子どもから離れないが、体は動かない。外から見ている僕らは、とても長閑な気持ちになるのだ。
  日本の保育園や公園で遊ぶ幼児を見ていると、間髪を入れず介入する大人の動きを見ることになって、つまらない。

 H高校の帰国生が僕のところにやって来たのは、何とかしてもらうためではない。自分の判断が日本の社会でも通用するか確かめるためである。
 卒業後の進路についても、帰国生たちが学校の進路指導部に依存する傾向は、きわめて低かった。自分の判断・決意の範囲が日本の生徒よりはるかに広い。だから問題が大きくならないうちに問題を意識、自分で何とかすることが出来るのだと思う。


追記 いじめについては、本ブログ「和解する教室   1-6でおこったこと」のP君 の件を御覧頂きたい。「正眼の構え」については、「体罰を止めさせるために」を参照頂ければ幸いです。

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