志賀直哉・武者小路実篤・里見弴らの「白樺」は 学習院では禁書扱いであった。 |
「乃木さんが自殺したといふのを英子からきいた時「馬鹿な奴だ」といふ気がした。丁度下女かなにかが無考えに何かした時感ずる心持と同じやうな感じ方で感じられた」武者小路実篤は
「乃木大将の殉死は・・・残念なことに人類的な所がない。ゴッホの自殺は其処に行くと人類的の所がある。」と『白樺』に書いている。乃木の硬直性、形式主義、徳目教育を嫌って、 ・・・人間本来の生命にふれない、人間本来の生命をよびさまさない・・・と酷評。夫人を道ずれにした乃木の精神性を痛烈に批判している。
志賀直哉が学習院の生徒であったとき、乃木希典は学習院校長で多くの生徒に「うちのおやじ」と敬愛されていた。しかし志賀や武者小路ら『白樺』に集う者たちは、乃木の教育方針を非文明的であると嘲笑している。
少年志賀直哉は海軍志望であったが、内村鑑三に出会い軍人を厭うようになった。徴兵検査は甲種合格。入隊後、柳宗悦を頼り軍医に診断書を書いてもらうことに成功し、たった9日で除隊した。難聴という診断であった。
志賀は昭和天皇に屡々対面もし、天皇を「天子様」と呼んでいた。だが、戦争に対しては徹底して反対であった。志賀には、天子様をかつぎあげて、天子様を利用して国民を戦争にかきたてる軍人や政治家、それに端であおる人間たちが許せなかったと言われている。
志賀を識る人たちが志賀を評して口にしたのは「立派で」「まっすぐで」「気持ちのいい」などの言葉である。志賀を前にすると、一様にその人間性に感心し深い尊敬の気持ちを抱いてしまう。一度彼に会った人間は再び志賀の人間にふれてみたくなり、「志賀詣で」がはじまる。
「先生のまわりにはいつも清らかな風があるように思った。先生にお会いして帰るとき、いつも私は満ち足りた幸福な心持ちになっていた」 小林 勇『遠いあし音・人はさびしき』この志賀が戦中「秘密に終戦の工作をしていた」ことがある。戦争末期、志賀や武者小路ら文化人たちは、国民の悲惨さを憂え、戦争を早く終結させるために「同心会」をつくった。
吉野源三郎によれば、志賀は相談だけではなく「実際の政治工作とひそかな結びつきがあった」。吉野は、腹をきめた志賀が秘密工作をしている男と会ったとき、相手の方がぶるぶる震えているのがおかしかったという後日談を志賀から聞いている。
志賀は終戦工作に本気だった。彼は
「自分たちはもう老年なのだ。たとえ自分たちが死んでも、そのために子どもたちが仕合せに生きのびられるのだったら、そう願うのが本当だ」と考えていた。
志賀直哉の本分は「芸術としての小説」をみがくことにあった。志賀のめざすところは芸術により人に感動を与えることで、政治や思想を組織的に思索することは苦手で、関心がなかった。
志賀は小林多喜二から送られてきた「蟹工船」を読んで、感心したと感想を書きながらも「小説が主人持ちである点好みません」と、思想が混じると芸術が弱くなる点を指摘する書簡を送っている。志賀は小説は芸術であって特定のまとまった思想を伝えるものではない、思想の表現は別の効果のある方法によるべきであるといった。
志賀の作品に政治的思想的な匂いのあるものはない。およそそういうものから縁遠く、左翼思想などというものは右翼思想とともに、思想という括りで斥けるところがあった。彼はそういう類の判断はいつも直観によった。しばしばその直観が正鵠を射ることで、周囲の人たちは感心させられている。重厚な理論で武装したはずの左翼があえなく転向するのに比べて、生き方の深いところに自由があって動かない。
「林達夫と久野収の対話」『思想のドラマトウルギー』(平凡社)によれば、戦争末期に、安倍能成、武者小路実篤、和辻哲郎など『心』グループに集まって、この戦争を終わらせるには天皇に直訴するしかない、と話し合っているうちに憲兵隊に嗅ぎ付けられた。縁の下で盗聴されたらしいのである。それを知った仲間が危ないからもうこんな会合はやめようということになった時、志賀が憤慨して
「われわれの息子たちが自分の責任でもない戦争に引き出されて命を犠牲にしているのに、われわれのような年寄りが、身の危険を案じてこんな会合さえやめようと言うのか。それでは余りにも不甲斐がなさすぎるじゃないか」と言い、会は続けられることになった。これが、どんなに孤立して危険な決意だったかは、仏文学者渡部一夫が原爆投下一ヶ月前こう書いていることで分かる。
「どの新聞を見ても、戦争終結を望む声一つだになし」『敗戦日記』戦後、前記のグループを中心にして『世界』が創刊(1946)された。安倍能成が「天皇制護持」を謳い文句に入れようとして賛成者も何人かいた、だが大内兵衛が真っ向から反対し、志賀が「そんなことどうでもいいじゃないか」と水をさして、「天皇制護持」は入れないことになった。更に志賀直哉は、
「年寄りばかりではダメだからとグループに共産党の中野重治や宮本百合子を加えることも提案し、みんなを困惑させたりもした」(佐高 信)志賀直哉のこうした姿は、案外知られていない。
英国の自由主義者も、ナチズムと徹底的に戦った。NHK海外ドラマ「刑事フォイル」(BBC制作、原題はFoyle's War )はそうした事情を良く描き出している。
例えば、戦中もナチスと取引したり投資したりする米英の資本家が、犯罪に絡んだ取引で政治的に捜査を逃れようとするが、たった一人の部下と運転手しか持たない警視正フォイルはそれを許さない。確実に追いつめてゆく。そこがNHK前会長の神経をイラつかせたのか、突然不自然にうち切られ、会長が交代してまた再開している。反戦の労組活動家、良心的兵役拒否者、共産主義者と共に秘密活動する貴族、などが好意的に描かれている。フォイルの戦闘機乗りの息子も、オックスフォード大学では共産党員だったという設定である。
「ゴーストップ事件」や小林多喜二が、NHKテレビ小説で扱われることは想像だにできない。
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