昔長江中流の村に、美しい娘倩女と好青年王宙があった。互いに好意を持ち、将来を誓い合っていた。ところが倩女の父親が欲を出し、娘を出世間違いなしの秀才と娶せようとする。倩女も王宙も悶々として心安まる間もない。王宙は、邪魔になってはいけないと故郷も恋人も捨てて、揚子江を下る。失意のうちに舟を進めていると、後ろから追いかけてくる音がする。振り向けば倩女が手を振っている。二人は手に手を取り合い、とある田舎に睦まじく暮らし、子どもも二人出来た。子どもが出来てみると、両親が不憫になる。二人は相談して揃って故郷に帰る。王宙が倩女と子どもを待たせて中に入り、詫びて事情を説明した。すると「娘はあなたがいなくなってから、病を得て今も伏せたきりで口も聞かない。目も虚ろで魂が抜けたようだ」という。そこで王宙は、外に待たせた倩女と孫を呼んだ。両親は、何と不思議なことがあるものだと驚いて声も出ない。両親は娘の寝ている部屋へ王宙と倩女を案内した。すると寝たきりの娘が起き上がって、聖女と抱き合って喜んでいるうちに、二人は一つになった。
この話は、明の小説集『剪灯新話』に納められて、どちらの倩女が本当の倩女かとの禅問答に使われる。
2年生を担任していた年の晩秋、ある男子生徒U君が「この学校にもウラ番がいるよ。しかもスケバン。誰かを知ったらきっと先生も吃驚するよ」と言う。何を思ってのことか、詳細に教えてくれる。僕も気になっていたグループだ。しかし生活指導部が聞き耳を立てるような問題も学習上の問題も見当たらない生徒たちだった、「現代社会」の答案はいつも鋭く面白かった。だが、何故かクラスの他のグループと馴染まない、準備室に出入りもしない。部活に熱中するわけでもない。帰宅も早くはない。
心当たりがあって、ある日の下校時間が迫ってきた頃彼女たちがたむろしそうな場所に行ってみた。裏からこっそり近づいた。校舎の中央、屋上出口手前の階段である。死角からこっそり近づいた。中に入ると三・四人が固まって、煙草を吸っていた。慌てて煙草を隠した。
僕は
「何度もきみたちを探して、何処にもいない。いろいろ考えてここに来てみたんだ」といいながら腰を下ろした。
「驚いた、どこからここに来たの」
「秘密、隠れられない学校はいやだね・・・しばらく話してもいいかい」
「先生は、私たちに関心ないのかと思ってた。いつも誰かが側にいるでしょう」
「君たちの答案、いつも面白いんだ。だから話したかったのさ。・・・Fさん「家族が君を子ども扱いする」と書いていたね」
「私、末っ子なの。だからずーっと。子ども扱いと言うより、赤ん坊扱いね。腹が立って、こども扱いはもう止めてと言えばみんなして笑うのよ、一人で繁華街にも行かしてくれない」
「君をウラ番と呼んでいる生徒がいるんだ。ウラ番は、僕の経験では頭が良い、それだけではなくリーダーシップが必要なんだ。Fさんにはそれがある。それは伸ばすべき長所・能力だよ。それに、外見からは判らない。君たちみんな服装も頭髪も不良には見えない、僕は感心しているんだ。自制心がなくちゃ出来ない。自制心は子どもにはない。もう子どもじゃないよ」
一人ひとりの答案で、話をした。途中で下校の放送があり、日直の教師が回ってきたが薄暗くなるまで話した。
「煙草のことどうするの」
「僕は見てないよ。生徒部はここに煙草のにおいが残っているとは言ってた。又明日」
この後、彼女たちの授業中の表情が柔らかくなって嬉しかった。学級PTA で、Fさんのお母さんは相変わらずFさんを「ねんねで甘えん坊で困る」と嘆いていた。僕は「男顔負けのリーダーシップがあります、自制心は大したものです」と言ってみた。いつの間にか、Fさんのグループから煙草の匂いも消えた。
さて、どちらのFさんが本当のFさんだろうか。高校二年生の時期は、精神が質的に成長する。それを本人が受け入れることが出来ないこともある。古い肉体とと新しい精神の間で苦悩する。自分自身を傷つけたり、周囲を戸惑わせることもある。魂と肉体を分離させようと悲しい努力をしたりもする。突っ張りに徹することも出来ないとき、親が仰天するような事故が起きたりもする。
二人のうちどちらかではなく、三人だったりもする。大きく先鋭な不安を最も感じているのは本人である。「説教」に激しく反発したかと思えば、逆に「説教」を求めたりもする。教師も親も、自分自身のそのガラス細工のような『危うい』時期を想い起こすことが重要だと思う。
追記 清の短編小説集『聊斎志異』は『剪灯新話』に影響を受けている。高校生はこれを良く読む。
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