四谷二中 9   特別権力関係論

   二中冬は、霜柱が立つ日も校庭での朝礼があった。いくら寒くても朝礼無しにならない。僕はその極寒の朝礼の中身をほとんど覚えていないのだが、自慰は体にも頭にもよくないという説教と、寒くてもポケットに手を突っ込むなという指示は覚えている。

  「おい、"たわし"あれを見ろよ」と後ろからささやく声がする。視線をたどると斜め後方の教師が、ポケットに手を突っ込んでいる。ぐるっと見回すと、何人もの教師が同じ姿勢で佇んでいた。

  「きたねえな」「何で生徒はイケなくて、先生はいいんだ」教室に戻りながら、口々に言う。

 「"たわし"、聞いて来いよ」

 こういうのはいつも僕の役目だった。昇降口の傍に立ってポケットに手を突っ込んでいた教師に、仲間数人で詰め寄った。

 「どうして生徒はポケットに手を突っ込んじゃいけないのに、先生はいいんですか」と問うと、それまでニコニコしていたのが、真顔に戻った。

 「立場が違うんだ、生徒と教師は」

 級友が吐き捨てるようにたたみ掛ける。

 「そういうの、特別権力関係論って言うんだ」

 「ごちゃごちゃ言わずに、教室に戻れ」と追っ払われた。

 「なんだ、今の特別何とかというのは」

 「俺も詳しいことは知らないけど、裁判で会社が働く人を煙に巻きたいときに使うらしいんだ」

 彼は、かなり有名な弁護士の息子。さっそく級友連れだって聞きに行った。門のある家で、出窓が印象的だった。

 応接間におしかけその場ではわかったが、ドイツでナチスが使った論理だということだけが記憶に残った。


 管理主義が高校で荒れ狂った1970年代後半、僕はこの言葉を再び耳にすることになる。

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