地位にも衣食にも縁が無いから、ただむつかしければ面白い

素読の初級者と、会読をする車座の二組が描かれている

 山崎闇斎の弟子たちは、彼が講釈する言葉の一言たりとも漏らさず筆記した。なぜなら闇斎は生きた聖人と見做されていたからだ。これを批判したのが、朱子学を「憶測にもとづく虚妄の説にすぎない」とした荻生徂徠である。
 「徂徠は、「予(われ)講を悪(にく)む。毎(つね)に学者を戒めて、講説を聴かざらしむ」(『訳文笠蹄初編』)と自ら述べているように、講釈嫌いである。彼は講釈の害を十項目にわたって論じているが、なかでも重要なことは、聴講者が自分で「思」うこと、考えることをしなくなってしまう点にあった。徂徠によれば、講釈する側も、「字詁・句意」「章旨・篇法」「正義・傍義」「註家の同異」「故事・佳話」「文字の来歴」など、およそ本文に関係することであれば何でも、お店を開くように並べていって、一つでも足りないところがあると、それを恥だと思うようになる。そのうえ、聴講者が飽きてしまうのではないかと心配して、美声によって喜ばせたり、時には笑い話を交えながら、居眠りなどさせまいとするのであるから、聴く者が自ら何も考えなくなってしまうのも当然である。懇切丁寧、用意周到、理解の助けによかれと老婆心ですることが、学習者にとっては逆効果となってしまう」     前田勉『江戸の読書会』平凡社
   闇斎の講釈には、今の教委が喜びそうな「良い」授業の要素が詰め込まれている。今も校長はこれらの観点に沿って、教師の授業を観察・評価する。生徒の書き入れる授業評価アンケートもそれが元になっている。
 だから高校でも大学でも、表面的な「分かりやすさ」や「やさしさ」が評価される。

 難しさを克服した時の喜びがあるからこそ、事柄の実体や本質に迫る気になる。それを避けるのは、親切面して愚民化を計ることである。

 では講釈嫌いの荻生徂徠はどのような学びを、奨励したのだろうか。徂徠(蘐園)学派では、学問は師や仲間(講習討論の友)とともにするものであった。その中心に数人で車座になって行う会読があった。素読などの基本を終えた者たちが、決められた経典(四書五経など)の章句を巡り、互いに問題を出し合い意見を戦わせるのである。

 その場で重んじられたのは、「真理を探究し明らかにするために、互いに「虚心」の状態で(父と師と君のいずれからも自由に)討論をする」ことであった。適塾でこの会読に打ち込んだ福沢諭吉は、自伝で次のように回想している。
   「・・・幾年勉強して何ほどエライ学者になっても、頓と実際の仕事に縁がない。すなわち衣食に縁がない。縁がないから縁を求めるということに思いも寄らぬ・・・名を求める気もない。名を求めるどころか、蘭学書生といえば世間に悪く言われるばかり・・・。ただ昼夜苦しんで六かしい原書を読んで面白がっている・・・自分たちの仲間に限って斯様なことが出来る。貧乏をしていても、粗衣粗食、一見看る影もない貧書生でありながら、智力思想の活発高尚なることは王侯貴人も眼下に見下すという気位で、ただ六かしければ面白い、・・・という境遇であった」『福翁自伝』
 服部之総は明治3年以降の福沢を、革新的でなくなったと言っている。ここに描かれている青年諭吉は、これを書いている福翁とは、まるで違うことは知っていた方がいい。ともあれ、こうした激しい学びの中からspeechを演説、debateを討論と訳出するに至るのである。

 この学習形態は、封建的身分制に頭を押さえつけられていた若者たちを身分を越えて惹き付けた。初め各地の私塾にそして藩校、遂には昌平黌にまで広がった。千葉卓三郎らの五日市学術討論会もその流れの中にある。
 しかし自由に平等に討論学習し、真理を探究し明らかにするため互いに己を「虚心」にする雰囲気は、皮肉な事に福沢の説いた立身出世を学校令が煽り、ぶち壊してしまった。昌平黌の後進東京大学は、伊藤博文の権力的介入により特権の独占機関と化し、爵位と勲章中毒の世界を形成し、再び閉塞の時代を自ら形成してしまうのである。原爆の遙か前に、精神的文化的大破綻があったと言うべきである。

 今、学校でdebateが盛んだが、あまり討論とは言わない。舶来の先進的な学習手法と思い込んでいるからだ。

 debateの授業では教室を「勝ち負けの場にせずにはいられず、弁舌を争うばかりで、ものごとを深く考え真理の発見にいたらない」よう教師が指導してしまう。これは「会読」では強く戒められたことである。真理の発見のために力を合わせるのでなければ、高校生が青年らしい行動的な賢さを獲得することは出来ない。日本に生まれた「会読」という集団学習に気付いた方がいい。

 高校に入った4月、父は『三太郎の日記』を読めと言った。その父は
中学入学祝いには万年筆と『ロウソクの科学』を買ってくれた。ペーシ゛を捲る毎に僕は実験を繰り返し、机は焦げ跡だらけになった。
 『空想から科学へ』を『ロウソクの科学』の類だろうと思って手にすると、何やら難解だが薄いから買った。しかし難しい、通学の電車で読み昼休みに広げて格闘していると、上級生が「面白いかい」と話しかける。「難しくて困ってる」と正直に言うと、「俺たちの読書会に顔を出さないか」と誘われた。
 天井の穴から空が見える解体寸前の古い校舎の一角で、『フランス革命時代の階級対立』を六人程度が「会読」していた。会読も珍しかったが、理科実験少年にとって、社会科学にも自然科学と同じく真理や法則がある事を知るのは、魂を引きずり込まれるような経験だった。大学生や専門家たちが入れ替わり立ち替わりやって来て、僕らの討議を助けてくれた。アフリカや南米の海外勤務から帰国したばかりの卒業生たちは、新聞にも雑誌にも無い最新の情報でぼくらを魅了した。終わる頃には星が出ていた。『フランス革命時代の階級対立』を終えると『ルイボナパルトのブリューメル18日』を会読した。これは格段に難解だった。
 深く学ぶことと、広く学ぶことは別では無かった。同時に疑うにも方法が必要なことを知った。
 僕は「分かり易い」授業には今も馴染めない。

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