公選制とは何か 1   日活映画『警察日記』と      公選制公安委員会制度下の自治体警察  

  角隠し姿の花嫁が、親戚たちと田舎の路線バスに乗る場面からこの映画は始まる。貧しいが希望に満ちた出だし。

   映画の主人公(森重久弥)は、駅で姉弟の捨子を発見する巡査。学齢前の女の子(二木てるみ)と赤ん坊。同時に、騙され紡績工場へ身売り寸前の若い女性を保護する。

 巡査は捨て子の預け先を探すが、引き取り先がなく途方に暮れる。切羽詰まって、知り合いの料亭に赤ん坊を預け、学齢前の女の子は連れ帰るが、子だくさんの巡査の家ではその日また赤ん坊が生まれていた。 

 この猪苗代湖畔の町に起きた貧困のもたらす出来事をめぐって、人情味溢れる町民と警察官が描かれる。

 二木てるみは天才子役に相応しい見事な演技で、観客の涙を誘い大人の俳優を圧倒する。杉村春子や沢村貞子など著名な俳優は、肩の張らない演技を見せる。東野英治郎は戦争で5人の子どもを全て亡くし精神に異常をきたした元小学校長を、宍戸錠は身売りされかけた女性に惚れてしまう若い巡査を演じている。

 日活映画『警察日記』の警察は、戦前のオイコラ警察とも最近の公安警察とも違っている。非常に懐かしい。この懐かしさは何処から来るのか。貧しく古い街並みか、敵意と競争を忘れた人々の穏やかな表情か。

 1954年撮影で翌55年公開の作品。55年体制の生まれた年は良く知られているが、その前年まで、自治体警察が公選制公安委員会の下にあった事はすっかり忘れ去られている。『警察日記』の原作は1952 年に出ているから、これは自治体警察とそれを取り巻く人々の係わりを描写した記録でもある。

 だから巡査は人々の生活に密着し、人々は巡査を信頼している。


  公選制の行政委員会は 農業委員会を除いてすっかり姿を消した。

  公選制独立行政制度がどんなものであったか、その成立過程と廃止の経過が比較的明らかな教員委員会のケースで見てみる。

  1946年第一次アメリカ教育使節団は戦前戦中の天皇制軍国主義教育が、恰も国民に狭窄衣を着せたようなものであったことを指摘した。日本の教育改革は狭窄衣から教師を解放する事でなければならないと報告書を作成した。この勧告に基づいて独立行政委員会としての公選制教委が教育委員会法によって組織されたのである。

 地方自治体の長から独立した公選制・合議制の行政委員会は、予算・条例の原案送付権、小中学校の教職員の人事権を持った。

 しかし単独講和の暴挙後、占領軍は各地に基地を置いて撤退する。早くも1956年、公選制の廃止と任命制の導入を強行する地方教育行政法が成立している


  しかし公選制公安委員会の経過は公式記録にはない。まるで戦後の警察は1954年から始まったかのように書かれている。歴史はここでも抹殺されている。

 日弁連調査によれば、都道府県任命制公安委員の大半は財界・企業関係者が選ばれる。議会の同意をえて知事が任命しする建前だが、警察の同意が条件と言われている。市民の人権を守り、警察活動をチェックする人間が選ばれることは非常に稀である。   続く

 原作者伊藤永之介栄之助は、日銀秋田支店の文書係をしながら『文芸戦線』で活躍したプロレタリア作家であった。多くの作品を残し59年没。特高警察の理不尽に難儀した伊藤の描いた自治体警察像に込められたものを読み解く必要がある。 

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