「部活」への反逆と高校生の自治

 丸山眞男が「諸関係」をめぐるズレ、葛藤、矛盾がもたらすダイナミズムを、自我の問題として、「自我の属する上級者・集団・制度などにたいする自我のふるまい方」の問題として、歴史的に論じたのが『忠誠と反逆』(1960年)である。
 「およそ個人の社会的行為のなかで忠誠と反逆というパターンを占める比重は、生活関係の継続性と安定性に逆比例する。伝統的生活関係の動揺と激変にょって、自我がこれまで同一化していた集団ないし価値への帰属感が失われるとき、そこには当然痛切な疎外意識が発生する。この疎外意識がきっかけとなって、反逆が、または既成の忠誠対象の転移が行われる」
という名高きテーゼのもと、丸山は、かかる自我確立の日本における弱さを、封建時代における中間集団の弱さに求める。

 すでに徳川幕藩体制において、本来の封建的特質 - 武士階級だけではなく、寺院、商人、ギルド、邑村の郷紳等の多元的中間集団の広汎な分散と独立性 - がかなり弱体化していたことが、「身分」や「団体」の抵抗の伝統を底の浅いものとし、それだけ 明治政府の一君万民的平均化が比較的容易に行われる基盤があった。

 今日少年が「忠誠と反逆」の問題に初めて直面するのは、部活である。本来、クラブは中間団体にすぎない。正義の基準を「仲間」に置く彼らには、校則や憲法すら超えた「掟」の領域である。例えば、当blog 「辞めることも、続けることも許さない理不尽」←クリック
 自身に熱があっても、身内が入院しても、スケジュールを優先して休めない。デートしたいという欲求さえ抑え込んでしまう。上級生と下級生の関係は、軍隊内務班の古年兵-新兵関係と変わらない。自我が「部活」に埋没している。

   しかし発達段階からすれば高校生は、内面の劇的成長を経験する時期。体も意識も個体差が目立ち始め、生活の規範が仲間内の「掟」から、個人の「内なる道徳律」へ移行する、筈である。だが、日本の高校は、生徒が自ら選択して入学したという建前の上に成り立っていることを利用して、中学以上の規制を課すのである。それが嫌なら何時でも自由に止めればと言うのだ。高校の「掟」=校則は、学校を選んだ以上は従うべき「ルール」として、一人ひとりの特性や事情を抑圧する。
 だから「たとえ皆が~しても僕はしない」という個人の「内なる道徳律」は、押さえ込まれる。この論理は、大学に進学しても就職しても基本的に受け継がれる。職場ぐるみの不正・犯罪行為が、職場の規律や発展を建前に横行するのである。
 だが少数であるが、「たとえ皆が~しても僕はしない」と反逆を決意する者がある。「自我確立」の衝動は、一人ひとり個別的に始まるから、孤立しやすい。それを支えるのが「中間集団」である。例えば江戸中期の狂歌の集まりは、体制批判を江戸庶民にもたらしている。志賀直哉の「心」グループ(←クリック)は、憲兵・特高に抗して自由主義者たちの終戦工作を可能にした。
  
 高校生の孤独な「自我確立」への衝動を支えるのは、自治組織としてのクラスや、自立した家族・友人の存在であるである。その例を挙げよう。
 
 MH高二年生H君の剣道部への反逆はこうだった。H君は中学時代から剣道有段者であった。先ず、顧問の体育教師と対立して辞める、辞めさせないとながく揉めていると言う噂が、僕にも聞こえてきた。
 「僕にやれることはないかい」、そう聞くと、彼はに穏やかに
 「これは、僕個人の問題です。一人でやってみます」と言う。これは剣道が好き嫌いの問題ではない。「命令と服従」の主従関係から、「自由な連帯」の市民的世界に少年が向かっていたのだと思う。そう考えると、彼のクラスでの日頃の発言も理解出来た。例えばある朝、ある女子生徒に
 「どうしたの、顔が笑って心が泣いてるよ」と話しかけたのだ。彼女はこの一言で、ながく悩んだ心の鬱屈が一気に晴れてゆくのである。「ここには、私を理解してくれる仲間がいる」、そう思うと昨日までのクラスの光景が違って見え始めたと話してくれた。市民的「私」として自分を解放することは、他者を理解することでもあるのだ。それは社会や世界への尽きない好奇心となって答案にも見えていた。
 むろん、長年続いた命令と服従の生活から突然自由になれば、煙草や酒とバイクの誘惑からは逃れられない。たが逸脱を通して培われる友情もある。やがてH君と仲間たちは、劇の脚本作りと上演に力を注ぎ始めた。←クリック
  
  S君の場合はどう現れたか。
 学校の中で「寺院、商人、ギルド、邑村の郷紳等の多元的中間集団の」役割を果たし、広汎な分散と独立性を辛うじて保ち得たのはどこだろうか。かつてのNHK「中学生時代」の担任を美術や技術教師としたのは番組ディレクターの卓見である、彼等は準備室にいて独立した空間を持つからである、そうした空間なしには生徒の言論結社の自由は育たない(かつては顧問のいない自由な新聞部、社研、演劇部などの部室もその役割を果たした)。皮肉なことに都教委はここから学んでいる。学校改築設計で、設備備品のための理科室や体育「教官室」など以外の教科準備室の設置を認めたがらなかった。特に強く彼等が嫌がったのは社会科準備室である。教室に担任が放課後も長くいて話し込む場合も自立した空間であり得た。しかし「クラブ必修」を切っ掛けに、教室が放課後の部活待合室と化し、担任がことごとく部活顧問として準備室や教室を離れ、生徒と教員が輪を作る光景はなくなった。校庭や体育館で指示を出し怒鳴り叱る光景が当たり前になった。同時に、生徒が持っていた顧問指名の習慣が消え始める。公平な負担が名目であった。これから顧問の負担は、最も熱心な教員のそれに標準化されるようになった。
  S君のクラスで、放課後のホームルームがなかなか終わらなかった。議論が熱くなってきて、止められない。こうして自治は始まるのだ。だが、クラブ大切のラグビー部顧問でもある担任は焦れて
 「いい加減にしろよ。クラブが始まるじゃないか」と言ってしまった。
 「何だよ、自分のクラスよりクラブが大事なのか」と生徒は反発した。文句を言ったのはラグビー部の生徒である。  彼は二年に進級してクラブを辞め、H君共々クラス活動に精を出した。
                                      
  クラブへの反逆は、表現すべき自己の自立宣言といえようか。彼らの劇脚本はそれをドラマ化した見事なもので、たちまち噂は拡がり、劇会場は廊下まで観客で埋め尽くされ、担任の僕はその劇を見ていない。だがその自立した好奇心はそのまま授業の調査研究発表へと繋がっている。

  今、我々は少年から大人まで、一介の市民であることに言い知れぬ不安を感じているのではないか。
 実績ある「部活」の一員であること、偏差値の高い学校に属していいること、人気企業のバッジを付けていることなどを排他的に誇る。虚構にすがりたがる。
 それでも不安は消えず、周辺諸国を睥睨してヘイトデモに自らを駆り立てる。
 社会や国家が、その構成員たる国民を平等に扱わない傾向がますます激しくなる環境にあって、一歩でも二歩でも抜きん出ていなければ不安なのである。しかしそれは過労死にいたる『忠誠』を求められ「命令と服従」の封建世界に回帰することでしかない。封建制が崩壊した時代に、封建的関係に回帰することほど悲惨で滑稽なことはない。

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