タレントの宣伝で判断する怠惰の行き着く先

  「自前の土地や資金がなくてもシェアハウスのオーナーになれる」との謳い文句に踊った投資者たちが1億円を超える借金を背負い、ついには自殺者を出す騒ぎになった。僕が気になるのは、何重にも錯綜した騙しの手口の悪辣さや巧妙さではない。この怪しい投資話を、当初は理性的に疑っていたのである。その多くが、タレントを使った宣伝で会社を信用したというくだりである。何故自分で、会社や投資話そのものを判断しないのだ。CMタレントは、自分たちの社会的役割にどこまで無関心なのだ。

  人気タレントが「食べて応援」キャンペーンを福島で展開していた。「食べて応援」は、農林水産省が国民の意識を内部被曝からそらす狙いがある。その一人が女子高生に対する強制わいせつ行為で書類送検されるに及んで、残念だの、裏切られただのの反応がある。

 何故、安全性を自分で判断しないのだ。ポピュリズムが政界を席捲し始めた頃、ある女性たちの「投票の決め手は、ネクタイの色よ」という言葉が流布されたことがある。何故自分で判断しないのか、政治家を選ぶなら基準は政治的見識だろう。

  放射能汚染地帯の農家も言っているのだ。
 「いや だって風評被害じゃねえよ 実害だよ。風評被害っていうのは根も葉もないうわさが広まって売れませんっていうのが風評なの。 俺らは実際 放射能があって検出されてんだよ。 それ 風評じゃねえっし、現実だっぺ」と。その言葉に耳を傾けず、金で買われたタレントに判断を委ねるのだ。
  福島県だけではない、首都圏でも子どもたちの身体に異常が起きている。加害者=戦犯ははっきりしている。それをかつての「一億総懺悔」的にうやむやにするのが、「食べて応援」キャンペーンである。「一億総懺悔」的無知と無責任に国民を引きずり込んでいる。

 日本が無謀な戦争に向かっていたとき、同じことがあったのではないか。
 人間同士の戦争であるのに、何故「神」を持ち出して判断したのか。「神」が命じた戦争なら、負けるはずがない、しかし負け始める。最初の脆い虚構を守る為に、勝っていると嘘を重ね続け、破綻するのは見えている。破綻を見通す智者を登用するのではなく反対に投獄して、声の大きな暴力的嘘つきを出世させたのである。勝つ筈なら、米英を占領したときのため英米の文化や言葉の学習訓練は必須だったのではないか。反対に禁じてしまった。つまり勝つつもりは毛頭なかったのだ。だから後々のことは何も考えていない。

  『敗戦日記』11月19日に高見順はこう書いている。
 「・・・四階の進駐軍司令部民間教育情報部へ行く。磯部氏の紹介と通訳で、ファー少佐に会う。翻訳ものの許可を得るかたがた、鎌倉文庫の性格を伝える。・・・ファー少佐の態度はすこぶるいんぎんを極めていた。前を通るとき、いちいち「エクスキューズ・ミー」と言い、自分から私たちのために椅子を運んでくれる。 ビルマの日本軍の報道部の傲慢不遜な空気を思い出した。同じ日本人の私が、たまらなく不愉快だったのだから、まして現地人にとってどんなだったろう」  
 放射能汚染対策を徹底するつもりがないから、闇雲に根拠のない「食べて応援」キャンペーンを貼るのである。

  投資話も、放射能キャンペーンも会社や政府に有利な土俵が初めにある。判断に迷ってインターネットに頼れば、騙す側の会社や政府を擁護するサイトも並んでいる。簡単に正解に辿り着こうとすれば、新たな詐欺が待ち構えている。
  そうならないためには、じっくり学習を積み重ねるのが、遠回りだが有効な手段である。もう一つある。それは政府が、怪しい商行為に断固としてた規制をかけることである。

辻井喬が面白いことを言っている。
「消費者が購入する商品について言えば、一回はだまされる。しかし二度はだまされないというのが消費者だろうと思う。テレビに出るタレント学者は、何回も見るうちに、だまされるというか、テレビ局がだまされるのでしょうね」

 タレントや宣伝のない国に住みたい。看板やのぼり旗のない街に生きたい。
 「芸能人」がたまに反政権的な言説を公にして、世間の喝采を浴びることがある。少し眉に唾を付けたい、国民が芸能人を通して事柄を判断する習慣を維持するための、保険に過ぎない気がする。プロダクションや広告代理店は抜かりがないのだ。

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