遊びと自制と社会性

お父さんスイッチで親と子の役割を入れ替える
 ・・・(オオカミ)の小家族が目を覚ました・・・。さかんに跳びはね、たがいの鼻をなめたり身体の上を跳び越えたり、仰向けに倒れて四肢で家族のだれかを持ち上げる。そんな状態が長く続き、ようやく徐々に静けさが戻ってくる。 ・・・オオカミがどうしてこうした遊びをするのか、合理的な説明はない。・・・
 オオカミたちは、「たくさん働けばたくさん遊べる」をモットーに生きているように思われる。
・・・遊びは彼らにとって、社会学習の一つの形式なのだ。幸福感を高める。・・・

   小さな子どもたちと遊ぶ老オオカミも、若返りの泉に浸かったように見える。・・・
 ・・・相互にコミュニケーションし、肉体を鍛え、社会の結びつきを深めるための有用な方法が遊びなのだ。・・・
 遊びは学習とトレーニングの時間で、相手をよく評価するための経験を全員が積む。同時に、社会的役割を交代しながら訓練し、フェアプレーを実践することにより高レベルの倫理や道徳に家族をまとめる方法でもある。動物たちが遊ぶときは、守るべき取。決めがある。「自分がしてほしくないことは、ほかのものにもしないこと」という〝黄金律〟はオオカミにも通用する。この原則に従うには、共感のはかに、ゲームのあいだは相違点(身体の大きさ、社会的地位など)を度外視するという意志がいる。

 ・・・大人やとりわけ高位にあるものが・・・すすんで仰向けに寝ることで、役割交代が起きる。(ドルイドのリーダー狼)は八歳という熟年に達すると平穏を好んだが、それでも息子とよく遊び、息子に勝たせてやった。一歳の息子は父の首の毛を噛み、脚をすくつて地面に投げ、威勢よくパパの身体に足をのせて立ったものだ。パパは身をほどいて立ち上がり、くり返し息子に勝ちを譲った。こうして少年オオカミは身体が大きく強い大人と対決し、勝利するときの気持ちを体験する。
 自制と役割交代を通して、どのような態度ならほかのメンバーに許容されるか、どうやって紛争を解決するか、といったことを学んでいく。人間の子どもたちがチームスポーツに参加するようもっとすすめてはしいのもそのためだし、親が子にゲームの勝ちを譲っても損にはならない。
      『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』 築地書館
 

 生徒が教師に問題や課題を出す機会の意義は高い。授業中定期試験問題文に間違いを組み込み、生徒に突っ込ませて頭を掻くことも悪くない。

  NHKのETVに「お父さんスイッチ」がある。  適当な空き箱に丸い小さなシールを5つ貼ってかな文字を書き、アンテナ代わりにストローなどを側面に貼って、リモコンの出来上がり。幼児が「あ」を押せば、お父さんは「あ」の付く動作をしなければならない。例えば「慌てる」とか「蟻になる」。それを5回やって「お父さんよくできました」とタイトルが出て終わる。恥ずかしげな幼児と実直そうな父親だけで構成される公共放送らしい素敵な番組である。(民法もNHKも権力に媚びた構成の番組と、「国民共有」の電波を私物化するタレントの悪ふざけに占拠されて不快極まりない中で、僅かな平安がある)

 部活の中身はそもそもがplayである。勝利至上から離れて遊びの方向に戻ることは、オリンピック騒ぎがメダル志向を煽る中では緊急の課題である。
 強者がその地位や特典を何時までも独占
する(五輪でメダルを獲得すれば、企業や団体そして自治体や国家の賞金と表彰が相次ぎ、勲章にまで及び公的地位を伴う。それが相続されることさえある)仕組みは、社会の健全性を阻害することを知らなければならない。
 人類だけが、強さや優位を何時までもresetせず、劣位にあるものを抑圧し続ける。必要なのは強者の自制であって、弱者の自己責任ではない。
 抑圧への反抗は、社会強者の優位をreset させる為の健全な表現活動として機能している。若者の「反抗」が社会の健全な永続性を促してきた。 強者による抑圧が、政治体制や宗教倫理となった時、抑圧への「反抗」は犯罪となる。

  今青少年が、強者による抑圧にどんな姿勢か。それは、無関心による無知と弱者に向ける自己責任の眼差しではないか。


 学力偏差値と部活の強さが売りの自称「名門」校生が、競技さなかの「底辺」校生に向かって、「落ちこぼれ、馬鹿野郎、転べ・・・」と嗤いながら野次る姿を大会でよく見てきた。当該高校の教師が、野次る生徒の「社会性」の欠落を悲しみ嘆く様は見たこともない。彼ら自称「名門」の残忍性は、川崎私立校大量殺傷事件と同質であると思う。刃物や犯人が残忍なのではない。「格差」拡大とそれを「活性化」と煽る視線が残忍なのである。
 どんなに怠け者の能なしでも地位をあてがわれる者と、どんなに努力しても沈み藻掻き果てる者をTV番組は嘲笑するように毎日見せ続けている。

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