電報と『お茶漬けの味』/「真理が我らを自由にする」

自分の本当の姿を知ることの自由。
その実現には贅沢な時間がいる。
 小津安二郎が『お茶漬けの味』を撮ったのは1952年である。
 ラストシーンに、国会図書館として使われていた旧迎賓館正面門が写る。
 冒頭近くのパチンコ屋のシーンには、山村聡演じる主人公が「戦争は嫌だね、二度とゴメンだね」と笠智衆演じる戦友と語る箇所がある。
 その戦争を二度と起こさせない決意を込めて、羽仁五郎が参議院図書館運営委員長として精魂傾けたのが国立図書館を兼ねた国会図書館である。現在も国会図書館本館ホール図書カウンター上部には「真理がわれらを自由にする」の文字が刻まれている。(羽仁五郎がドイツ留学中、大学図書館にあった言葉からとっている、ナチスが政権を掌握する前のことだ) 
 戦争責任を回避する天皇一族の離宮などに使われた施設が、国政に関する全てを調査し真理を守る機構となったことの意義は計り知れない。その国会図書館正面の門付近を小津安二郎はラストシーンに選んだ。1948年から61年まで図書館として使われたが、再び迎賓館となった。
 残念だった。実は『お茶漬けの味』撮影から10年後、東京四谷に転校した僕は級友たちと、この本館前庭で草野球をやったことがある。移転と工事の期間の僅かな隙間を縫って入ることに成功した。外にも内にも誰もいなかった。正面入り口の絨毯は靴が埋まる感触で大理石の階段は鏡のようだった。
  だから『お茶漬けの味』には格別の思いがある。

 主人公一家は、大船の屋敷に女中を置いて住んでいる。夫は、東京の機械メーカーの技術部長であるが、田舎出で汁かけ飯を、列車は三等車を、タバコは安物を好む。妻は神戸須磨のお嬢様育ちで、好みが夫とことごとく異なり、うまくいかない。ある日姪の見合いを巡って感情がもつれ、木暮実千代演ずる妻は「暫く勝手にさせて貰います」と置き手紙して特急の展望車で須磨に帰る。ウルグアイへの出張が急に決まった主人公は早引きして帰宅、妻の不在を知り直ぐに「ヨウアルスグカエレ」とウナデンを打った。しかし羽田からの出発には間に合わない。夜帰宅してそれを知った妻が、立ち尽くしている時に、夫が「エンジントラブルで飛行機が引き返した・・・明日朝早く立つ」と戻ってくる。

 夫は女中に「もう休みなさい」と言う。妻は立ったまま「もうしない」「もうあんなことしない」と悄気て言う。そして、お茶漬けを喰うのである。女中のいびきを耳にしながら、普段入らない台所に入り、二人で冷やご飯を探しお茶を沸かし糠味噌に手を入れ、茶の間で向かい合う。夫が旨そうにお茶漬けをすすると「私も頂こうかしら」と妻も食べる。食べながら糠味噌に突っ込んだ手の匂いを嗅ぎ「糠味噌臭くなっちゃった」と笑いながら夫にも嗅がせる。そしてもう一度「もうしない」と涙を溜めて言う。夫は「夫婦は、お茶漬けの味だよ」と返す。

 僕はこの作品の肝は、電報にあると思う。相手に届くまで手間も時間もかかるだけではない、字数の少ないカタカナだらけの文章では詳しいことは書けない。おまけに特急でも10時間かかる距離であれば、走って帰るわけにも行かない。
 互いに言いたいことも聞きたいことも伝わらないまま、時間だけが過ぎて行く。先ずは、「何言ってんだい」とやきもきイライラする。
 初めのうちは相手や周囲に対する怒りが勝って当たり散らすが、時間があればあるほど情報がなければ無いほど、次第に自分自身に思考が回ってくる。反省には時間がかかる。相手に促されたりするのでない自発的反省の場合は、とりわけ時間が必要である。携帯も公衆電話もない。徹底的な不便さの中に自分をおいてみるといい。

 電話や携帯があれば、相手をなじる言葉が先立つ。電報もなければ手紙しかない。時間がかかるとは、時間をかけられることである。こんな贅沢はない。真理の発見には途轍もない時間を要する。
 お茶漬けの晩、夫も「分かって貰えて嬉しい」と涙をこぼし、妻は「わんわん泣いちゃった。そしたら肩からすっかり力が抜けて楽になった」と友達や姪に語る。「突っ張るって疲れる」ことが分かる。←クリック   
  
 携帯やSNSは時間の節約とコミュニケーション促進と言うが、その分何かが充実したのだろうか。

 飯を食う時間も惜しいと忙しがる男に、「オレは面倒だから何でも握り飯にして時間を節約するぜ」と言う者があった、別の男が「オレは糞する時間も惜しんで、便所でしゃがんでから握り飯を食うぞ、ざまあ見やがれ」と啖呵をを切った。それを聞いていた男が「べらぼうめ、オレなんざ、飯が胃袋と腸を通るのもまどろっこしくて、握り飯を口に入れずに直接便壷に落としてら」・・・と言う落とし話がある。
 担任は携帯やSNSを駆使してはならないと思う。
 
追記     小津安二郎に倣って、学校生活の味を表せば何が相応しいだろうか。「さめた麦茶の味」はどうだろうか。

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