「立ち止まったら、行っちやった」/ 野生狼が教えること

独裁的な狼はリーダーになれない
 ・・・野生オオカミが棲息することに不安を感じる人は多い。不安は非理性的なものであっても、たしかに存在する。
 オオカミに出会ったとき不安を感じるのはうなずける。未知のものに対して、だれもが不安を抱いている。だが、それが存在しないかのようにふるまっても、不安がなくなるわけではない。それと向き合うことが大事で、しばらく耐えるだけですむこともある。
 子どもは未知のものに対して大人より勇気があることに、感心せずにはいられない。ツエレ(ニーダーザクセン州)近郊の小学校でスピーチをしたとき、オオカミを見たことはあるか、と質問すると、二人の少女がおずおずと手をあげた。森のなかで三匹に出くわしたそうだ。
 「怖かった?」
 私がたずねると、二人とも激しくうなずく。
 「それで、どうしたの?」
 「何もしなかった。立ち止まったら、オオカミは歩いて行っちゃった」
 よくやった、とはめてあげる。少女たちの行動は正しい。数日後に女教師から電話をもらい、女子生徒二人はオオカミとの出会いを誇らしく思っている、と伝えてくれた。
 子どもたちは先入観を壊してくれるのではないか、と期待している。率直かつ勇敢で、新しい道を進む気構えがあり、動物との自然な関係を本能的に知っている。往々にして大人に欠けるものだ。
 オオカミは、保護しょうと努力する人間たちより劣るわけでも優れているわけでもない。

                                 『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』 築地書館

 野生動物に対する理解は、近年劇的に深まった。観察
研究が段違いに進んだからである。
 米国の動物園のゴリラ舎の溝に三歳の子どもが落ちたことがある。シルバーバックのゴリラは水の中に横たわる少年を優しく抱き起こし、10分間一緒に遊んだ。←クリック          ゴリラは力を加減して優しく少年の手を取り、互いに目を見つめている。
 このとき、愚かにも人間の大人が特に母親がパニックに陥った。大きな叫び声を上げて、ゴリラに恐怖感を与えてしまった。そればかりか、銃で射殺してしまったのである。多くの市民が射殺に抗議したのはもちろんのことだが、取り返しのつかない悲しみが残った。未開で野蛮で愚かなのはどちらか。

 野生狼も、群れ筆頭のオス=アルファが自分の遺伝子を残すために、群れの全てを暴力的に支配して家畜や人間を襲うという描き方が多かった。だがそのような振る舞いは、野生の狼には見られないことが分かってきた。冷酷で攻撃的なオオカミ像は、野生化したイヌや人工的に閉じ込められたオオカミが人間から「学習」した習性の反映に他ならない。
 狼が互いに遊ぶのは、個体同士を徹底的に理解するためである。群を率いるのに最も重視される素質は、各個体が十分に能力を発揮できるように配慮調整することである。それは狼の群だけに向けられたものではなく、森の生態系全てに向けられている。

 学校に「荒れた」少年が初めて現れたとき、教員の多くはおののいた。多くの高校が「野生」の少年を受け容れるのは初めてだったからだ。しかしそれは既に野生ではなく、選別と差別に曝されて、学校的格差を「学習」した少年たちであった。


 教員になる数ヶ月前まで、僕は大学紛争まっただ中にいた。殺人事件さえ起き、機動隊の放水や対立するセクトの投石を浴びていた。そんな僕には、学校の光景はこの上なく長閑であった。僕は過剰な防衛反応にいきり立つ現場教師たちに

 「何も起きていないではないか」と噛み付いた。すると  「君には問題が見えないのか」と返され 
 「具体的問題が起きるまでは見えないのが当たり前で、自らの影に怯えるのは愚かだ」と言った。何人かの年老いた教師が 「よく言った、飲まないか」と会議後追いかけてきた。新設高校の「荒れ」を新聞が書き立て初めても、学校は僕には花園であった。生徒がタバコを吸い、アロハシャツを着流し、授業を脱走し、バイクを校舎に乗り入れても「危機」とは思えなかった。
 90年代半ば、山手線に近い都立B高校定時制課程が荒れていた。生徒たちは建て替えたばかりの校舎や校庭にバイクを乗り入れ、教室や廊下で花火、校庭にもたばこの吸い殻や菓子袋が散らばった。切っ掛けは校舎改築だったと思う。教師達が建物を可愛がった、壁にテープを貼るな、落書きをするな。建物が新しいから少しのゴミでも目立つ。口うるさくなる。生徒と校舎どっちが大事なんだと荒れる。近所からの苦情は絶えず、対策に追われて職員会議は週二回が定例。教員は疲れ果て為す術がない。←クリック    
 その後の経緯はまさに「立ち止まったら、行っちゃった」であった。知性は、介入「指導」するものではない。
       

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