高校に於ける暴力と自由の偏在

アルジェリア人の犯罪性暴力性は、植民地情況の直接の産物なのだ
  「暴力によって確立された・・・体制は、・・・どこまで続くかは、要するにこの暴力の維持いかんによる、と私は申しましょう。しかしここで問題にする暴力とは、抽象的暴力ではありません。単に頭の中で解明されるような暴力だけでなく、原住民に対する植民者の日常的行動様式が生み出す暴力、つまり南アフリカの人種隔離、アンゴラの強制労働・アルジェリアの人種差別などをも指します。侮蔑、憎悪の政策、こうしたものこそ、非常に具体的で、非常に耐え難い暴力の現われなのであります。しかしながら植民地主義は現在に対するこうした暴力に満足しているわけではない。植民地の民衆とは、その進化が停止し、理性を受け入れず、白身の事柄を処理できず、指導者の永遠的存在を求めている民衆である、とイデオロギー的に提示されています。植民地民衆の歴史は、何の意味もない擾乱に変形され、そのためこれらの民衆にとって人類は、あの勇猛な植民者の渡来と共に始まった、といった印象を与えています」    フランツ・ファノン『なぜ我々は暴力を行使するのか』1960年
  「植民地の民衆とは、その進化が停止し、理性を受け入れず、白身の事柄を処理できず、指導者の永遠的存在を求めている民衆である」これは、困難校の抑圧的指導の説明に使われる言い訳に酷似している。名門校や受験校では「進化が継続し、理性を受け入れ、白身の事柄を処理、指導者の即時撤退が可能」というわけだ。こうした言い回しの中には、常に当の本人は名門受験校出身であるという見苦しい自慢が含まれている。
                                        
 90年代半ば、山手線に近い都立B高校定時制課程が荒れていた。生徒たちは建て替えたばかりの校舎や校庭にバイクを乗り入れ、教室や廊下で花火、校庭にもたばこの吸い殻や菓子袋が散らばった。切っ掛けは校舎改築だったと思う。教師達が建物を可愛がった、壁にテープを貼るな、落書きをするな。建物が新しいから少しのゴミでも目立つ。口うるさくなる。生徒と校舎どっちが大事なんだと荒れる。近所からの苦情は絶えず、対策に追われて職員会議は週二回が定例。教員は疲れ果て為す術がない。
 ところが思い掛けない事で事態は一変する。夜間中学を卒業したお年寄り数名が、勉強を続けるために入学したのである。彼女たちは、荒れる高校生に一瞬たじろぐが
「なにしてるの、学校は勉強するところでしょう」と言いながら、教室に入り教科書とノートを広げた。数日の間に花火は姿を消し、静寂が訪れた。ツッパリ達がおとなしく鉛筆を握ったのである。教師達が束になって説得し脅しても駄目だったことが、あっさり解決した。何が違うのだろうか。
 教師は、~するなと言う。命令である。お婆ちゃんたちは、~すると宣言し実行した。荒れるツッパリとその同調者だけで構成された均一の空間に、異質のお年寄りが加わることで突然起きる根底的変化、それが革命である。
 B高校定時制課程には、花火とバイクの日常があったのではない。学校の日常としての学習が無かったのである。式や行事と口やかましい清掃はやたらにあるが、日常としての学習は続かない。テストやオリエンテーションで芸術鑑賞など行事で呆れるほど中断される。退屈しないように、生活にメリハリを付けるとの御託であったが、退屈するほど淡々としているのが日常である。長閑で欠伸が出るのが極楽ではないのか。お釈迦様が欠伸をするほど長閑で退屈だから、蜘蛛の糸を地獄に垂らしてみたのである。それが日常である。それが無ければ、脅しても説得しても甲斐はない、彼らは何をすればいいのか分からない、しかし校舎が生徒より大切という教師たちには我慢がならないのだ。花火やバイクは彼ら自前の行事なのかも知れない。であれば、手本で示すに限る。

 高度成長期、企業は気前よく泊まりがけの社員旅行を奮発した。海外も珍しくない。中でも人気はタイと韓国への買春ツアーであった。日頃国内では世間の目・世間体や社則に縛られ礼儀正しい筈の日本社員達は、飛行機のただ酒で酔い、ホテルロビーに着くや大声で「おんなはどこだ、女」と叫ぶ。彼らは日常を切り離して会社に置いてきた、その程度の世間であり常識であった。安手の日常が無ければ When in Rome do as the Romans do である筈だが、そこはローマでもロンドンでもない。アジアへの上から目線で、ここではカネが全て、日常も常識も要らない無いと決めてかかる。情事の後、ホテルのロビーに寝間着で繰り出し喚き歌い倒れる。一人ではやれない。成田に帰り着いた途端、常識や社則に復帰、「やっぱりみそ汁だね」と一等国意識に浸る。取り外しの出来る消費財としての日常・常識。男達だけではない、遅れて若い女性や主婦達が「男、オトコ」と海外リゾートで嬌声を挙げたのである。
 カントはこれが20世紀も後半の大人のことと知れば仰天するに違いない。中学生までは規律や道徳の規準は仲間集団にある。それが青年・高校生に成長するに伴い、道徳律は個人の内面に移り自立する。「たとえみんなが~しても僕は~しない」と。他者の異質性を容認擁護する覚悟はこうして芽生える。しかし我々の社会では、内なる道徳律は依然として確立困難。藩の掟、村の掟、家の掟、内務班の掟・・・が内なる道徳律の成立を妨げた。今、校則と部の掟そして会社の掟が青年の倫理的道徳的自律を妨げる。日常とは多様な個人が、コモンセンスによって合意する領域である。 違うことが、選別や憎しみの根拠となるのではなく、平等の前提となる。
 偏差値が異なることが選別の理由であり差別の根拠であると見せつけられた高校生が、「底辺」とは造られた体制と感じ、それを理不尽と捉えるのは知的成長の証である。荒れる怒りは、選別の体制仕組みに向けられねばならない。怒りが学校や教師に向けられるのは、選別体制の最前線と見なされたからであり、まさに文科省・教委の教員管理はそのように仕組まれている。善意で熱心であるほど生徒は荒れる。荒れる生徒を根拠に、組織実態の無いに等しい教員組合を攻撃、教員教員の管理を強めるというわけだ。その点でも「底辺校」は選別体制に欠かせないものとなっている。

  B高校定時制に突然現れたおばあちゃん達は、見かけも年齢も価値観も生活歴も全くの異質であった。中には民族や言葉の異なる場合もある。ツッパリから見れば他者。仲間内の掟が闊歩する言葉を要しない均質社会に、コモンセンスが浮かび上がらざるを得ない。冷静に見れば、おばあちゃんの存在は、あんこの中の僅かの塩にも似ている。教師は生徒が毛嫌いする饅頭を、旨いぞ旨いぞと手を変え品をかえ砂糖を増やすばかりであった。飽きるように怒りが込み上げるように工夫を凝らして消耗する。
 思いがけない展開で、B高校定時制は職員会議を減らし、やがて二週間に一度に変えた。こうして高校定時制の生徒も教師も学校の日常を発見したのである。
 
 学校は生徒の中にも教員の中にも、異質な他者を具体的に含む事で、普遍的健全性を実現するのだと思う。困難校の厄介で気の滅入る困難も、異質の他者性を回復することで容易く消える筈である。
 スーパーサイエンスハイスクールを賞賛すれば、その対極にB高校定時制課程同様の学校が必ず出現する。「総合学科」、単位制高校、特色ある学科、公立中高一貫教育校など高等学校の多様化・特色化が一気に進んだのがB高校定時制課程が荒れ始める少し前、90年代である。
 学校の日常は平凡に長閑に学ぶことを核に構成されねばならない。そのためには選別を排して、雑多な社会を教室に職員室に再生する必要がある。スーパーサイエンスハイスクールや底辺校の日常が個別に存在するのではない。それは教育の非日常なのだ。


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