分からないことが増える楽しみ / 闇を切り裂く勇気

闇を暗いと言う者が血祭りにあげられる
 分かったことと分からないことの二つから世界は構成されていると我々は考えてしまう。そうではない、それ以外に分かるか分からないかすら知り得ない広大な部分がある。
  何があるか想像すら出来ない事柄や世界への好奇心が強ければ、イブン・バットゥータのような冒険家やとなる。

 好奇心を維持して知り得たことを万難を排して伝えようとすれば、ベトナム特派員時代の大森実←クリック や特高に虐殺された小林多喜二のようになるかもしれない。
 想像すら出来ない事柄や世界に怯える人々は、人知をを超えた「崇高な原理」にすがる。
 
 僕は黒板に大きくない丸を描いた。
 「仮にこの黒板を宇宙全体としょう。我々が知っていることをこの丸が示しているとすれば、分からないことはどこだろうか」生徒や学生の多くは円の外側と声をそろえた。
 「そこは、分かるか分からないかすら分からない部分だ。 「分からないこと」とは、「分からないことが分かつている」こと。円を表す細い線の部分だけが「分からないことが分かつている」部分なんだ」
 「ここに描けない部分もある。僕は今これを二次元で書いた。三次元以上で書く方が相応しいが出来ない。世界は分からないことだらけだ。少し分かった途端、その何倍も分からないことが増える。

 アポロ11号の月着陸が疑われることの根拠の中にこれがある。月着陸で分からないことが増えていないからだ。事実なら、月着陸がもたらした新発見によって新しい疑問が山のように湧き出す筈だからだ」
  「もし僕の授業で、分かることがどんなに増えたとしても褒めるに値しない。分からないことが増えなければ、ペテンなのだ」

  津田左右吉もこう言っている。

 「・・・少しずつ、そうして次第次第に、いろいろのことがわかってまいりました。けれども、今日でもまだまだわからぬことが多いのであります。あるいはむしろますます多くなって来たのであります。わかったことが多くなりますれば、それに従って、わからないことが少なくなるように思われるかもわかりませんが―実はそうではなく、わかったことが多くなるにつれて、わからないこともまた多くなるのが、人の知識の性質であり、学問の基づくところでもあります。つまり疑問が深くなり、細かくなり、あるいは大きくなり、いままで気のつかなかった疑問がだんだん出てくるのであります」
 津田左右吉が『古事記、日本書紀の寝研究』で不敬罪に問われた裁判(1940年)に於ける「上申書」の部分である。

 疑うことが弾圧されるのは、疑われた事柄(例えば万世一系の天皇や建国神話、原発の経済性や安全性、沖縄の核兵器・・・)が事実ではないがゆえに体制の根幹を危うくすることを、権力者自身が承知しているからである。教育勅語や皇国史観は、民族や国体の名において疑い得ない前提となるが故に危険なのである。命を捧げることさえ疑わなくなる。自らの命を捧げることを疑わない者は、他民族を殺すことも厭わなくなる。


 分からないことも私的生活の秘密も秩序正しく排除された世界をオーウェルは『1984』に描いた。そこでは戦争が日常化していた。

  分からないことが増えてくるのを楽しみ、敢えて分からない領域に踏み込むことに価値を置くのが教室である。そうでなければ、権力の闇は決して暴かれない。闇を暗いと言う者が、血祭りに上げられる。官邸の記者会見は、すでにそうなっている。

 教科「現代社会」が高校に導入されたとき、当初は教科書無しという画期的方向性もあった。にもかかわらず「現場の強い要求」で教科書が作られたという苦い経験がある。

 教科書通りに「分かっていると権力が認定したことだけ」を教え、板書どおりに憶えて作られる究極の「明るい」格差社会世界をハクスリー『素晴らしい新世界』は書いた。
 分からないことやルールの定まらない未知の事態にワクワク出来なければ、新しい疑問が生じることも、発見も革命も正義も無い。

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