少年/少女の逸脱は「精神の輝き」

靴を右左逆に履くと笑われるが、具合がいい
 隣家に幼稚園前の男の子がいて、すれ違う度に立ち止まって高校生の僕を見上げた。抱き上げて「高い高い」や両腕を掴んで大きく回転したりすると、喜んで何度もせがむ。その子に妙な癖があった。靴を右左を逆にして履くのだ。お母さんが玄関で揃えて履かせても、脱いで逆に履き直して嬉しそうに見上げて得意げであった。
 金があれば足に合った靴を買うことが出来る。しかし貧しければ、度々買うわけには行かないからブカブカのサイズを選ばざるを得ない。歩きにくい。逆に履けば靴と箸の形が一致しないから、方々あたって固定されて操作しやすく履き心地はいい。不格好で、笑われるが歩きやすいのである。

 余裕ある家庭ならば、こどもの成長が親にもよく見えるから、成長に合わせて着衣や靴だけでなく、日常のしきたりを教えたり変えたりすることが出来る。しかし貧しければ、親は食うのに忙しく成長の様を悠長に見ていられない。大雑把に世間に合わせたり、大きめなもので間に合わせてしまう。少年には不満やストレスが溜まる。

 幼児が靴の右左を入れ替えて履くように、少年/少女は万引きしたりタバコを吸ったりして、社会や学校とぶつからねばその世界の限界や形を知りようがない。だからよほど鈍感でなければ、少年はぶつかりはみ出して自分と世界の関係を確かめる。それ故少年/少女は「不良」を目指し、「不良」に憧れる。
 社会や学校が一人一人の成長や発達に無関心である時、少年/少女の逸脱は祝うべき事なのだ。


 組み体操の如き無茶を、集団的感動を強制する手段とする理不尽が罷り通る時、隣家に幼稚園前の男の子がいて、すれ違う度に立ち止まって高校生の僕を見上げた。抱き上げて「高い高い」や両腕を掴んで大きく回転したりすると、喜んで何度もせがむ。その子に妙な癖があった。靴を右左を逆にして履くのだ。お母さんが玄関で揃えて履かせても、脱いで逆に履き直して嬉しそうに見上げて得意げであった。
  金があれば足に合った靴を買うことが出来る。しかし貧しければ、度々買うわけには行かないからブカブカのサイズを選ばざるを得ない。歩きにくい。逆に履けば靴と箸の形が一致しないから、方々あたって固定されて操作しやすく履き心地はいい。不格好で、笑われるが歩きやすいのである。

  余裕ある家庭に育てば、こどもの成長が親によく見えるから、成長に合わせて着衣や靴だけでなく、日常のしきたりを教えたり変えたりすることが出来る。しかし貧しければ、親は食うのに忙しく成長の様を悠長に見ていられない。大雑把に世間に合わせたり、大きめなもので間に合わせてしまう。少年には不満やストレスが溜まる。

  幼児が靴の右左を入れ替えて履き、親を困らせるように、少年/少女は万引きしたりタバコを吸ったりして、社会や学校とぶつからねばその世界の限界や形を知りようがない。だからよほど鈍感でなければ、少年は掟にぶつかりはみ出して自分と世界の関係を確かめる。それ故少年/少女は「不良」を目指し、「不良」に憧れる。管理や規制に走るから双方心に棘を生やす。「漸く成長した」と笑って歓迎すべきなのだ。まさしく不良精神は、社会の輝きなのである。 社会や学校が一人一人の成長や発達に無関心である時、少年/少女の反抗だけが希望なのだ。


 世界にも希な体罰大国、民営化して激化する受験競争に反乱せよ高校生。共通テスト英語の民営化延期などに満足するな。入試の廃止を要求して反乱せよ。
 最もラジカルな反乱は、非日常性を拒否することだ。メダルや賞を目指すプロの激闘に陶酔する間に、自分自身の存在が極限にまで買いたたかれ打ち捨てられつつある事に、そろそろ目覚めるべきだ。他人の「栄光」は君の尊厳の代わりにはならない。
 
  

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