粗末な身なりのホーチミンにこそ 大国を圧倒した個人の尊厳がある |
団結。それは人々が力を合わせ、強く結びつくこと。みんなが待ち望んだ、東京2020オリンピック。・・・ホーチミンは、団結を語るに最も相応しく生きた人間である。粗末な身なりの小さな痩せ男が、世界最大の帝国を相手に人々の尊厳を守ったのだ。民族意識と階級意識で国民を組織して戦い続けた。
みんなで手をつなげばきっと、ものすごい力が生まれる。心をひとつに、全員団結!さあ、いくぞ。がんばれ!ニッポン!
JOCが、「全員」団結を言うなら、少なくとも「全員マイナス1(1は個人としての僕)」にして貰おう。僕は「全員」などと言うモノに加わることを、一度も了承していない。
民族意識も階級意識も忘れさせる五輪騒ぎに既になっている。オリンピック憲章ですら、五輪は〈個人種目もしくは団体種目での競技者間の競争であり、国家間の競争ではない〉と釘を刺している。
賛美と興奮を煽る光景に既視感がある。絶滅収容所時代のハンセン病療養所を見事にルポした記録がある。
「取り込む(搾取)事にかけては名人の連中も、本職の医者の方はからっきり駄目で全くのタケノコ(藪医者にも遠く及ばない)だ、つい先日も呼吸が 一寸苦るしいと言ふ女を、本人が嫌がるのを無理に手術をすれば楽になると言って手術室に引張り込み、到々外科技術が拙いためにやり損ない、三十分前まではピンピンして居た奴を×して仕舞った 其の他にもこれと同じ様な事は未だくいくらでもあるが、 先づこれ位いでやめるとして、兎に角こゝの職員は愛生園の内情が外部にもれる事を大変に恐れる、それで手紙等は一々御丁寧に開封して見て、少しでも愛生園に都合の悪るい事が 書かれてあると没収だし、面会人が来ても、立会人附で面会させる程の取締ぶりだ 読書なぞにして見ても、糞面白くもない宗教やキング其の他ありふれた雑誌のほかは一切読まさない、階級的な本を読ませるとストライキを起されると困ると吐かして、いくら外部から送って来ても本人に渡さないで没収だ 斯くの如くにして、其の待遇は囚人と何等異る所はない、 だからこそ愛生園の生活に耐へかねて逃走を企てる者、自殺をする者が次から次へと出て来る、冬の寒い真最中に夜海を泳いで逃走して行くのだが、其の殆ど全部の者は失敗して捕まって帰へって来る すると直ちにブタ箱入りだ、そのブタ箱も外部ではめったに見られぬ頑丈なものだ 勿論捕まって帰って来た者にはテロが加へられる事はきまりきって居る 当地では未だ殺された者はないが、東京の全生病院では激しいゴオモンにかけてナグリ殺した事実さへある 果してこれが楽園であると言へるだろうか、職員の言ふ如く 本当の楽園であるならば、冬の寒い真最中に海を泳いで、しかも捕まって帰へればブタ箱入りとテロの加へられる事を承知で逃走して行く者は一人も居ない 愛生園こそは明かに牢獄だ 俺達はこゝでは人間としての取扱は受けては居らない、一個の品物として、ドレイとしての取扱ひしか受けては居ないのだ」書いたのは吉川四郎。
吉川四郎は、ハンセン病療養所愛生園最初の患者教師。旧制専門学校中退後、労働運動や政党で活動した異色の患者である。ルポルタージュは園が原稿の段階で押収、世間から隠された。
世界大恐慌の煽りで、経済は一気に悪化、右翼テロと陸軍の謀略が横行してファッショ化する中、全員隔離によってハンセン病を10年で絶滅すると豪語して内務省が「らいの根絶策」策定。1931年「癩予防法」及び「懲戒検束規定」が帝国議会を通過、隔離対象が浮浪患者だけではなくなり、先生も収容の網に捕えられた。
この生き地獄を賛美した者がある。
「療養所は美しいものとなって来て居る。如何にして病院はかくも天国の如くなったか。その一原因は、伝染の危険なき程度のものも解放しなかった事である。 療養所には作業がある。その健康に応じて彼等の作業は必要欠くべからざるもの24種を越えて居る。例へば、大工がある。そして彼等の手で病棟、消毒室、何でも建設せられる。付添が要る。 彼等は重症者に日夜侍して大小便の世話から、食事の世話から親身も及ばぬ看護をする。註 そして1050人の収容者中半数は相当重症でも何らか作業をし、人のため為す所あらんとして居る。これは一方彼等の疾病療法の一たり得るのである。そして、そのなかには中枢として、印度、ハワイあたりでは、当然解放すべき軽症者が働いて居るのである。当院の如きは作業が多くてする人が少ない。 この軽症者が重症者のために犠牲的に働くと云ふことが今の療養所をして監禁所に非ずして楽園とした・・・。 全治者を退院せしめよの声は古くから何回も叫ばれた言葉である。しかしもしこの軽症者を退院せしめる時は、この作業のために健康者を雇ひ入れねばならぬ。今日の日本、癩救済の貧弱な予算でどうしてそれを雇ひ得よう。患者は一日三銭、多くて十銭で全力を注いで働くのである。しかも同病相憐れむ心から、癩患者自身が癩救済の第一線に働くてふ使命感からの愛の働きである。・・・ 痛みつつも猶鋤をになふ作業、病友のために己を捧げて働く愛、それが療養所を潤し、實に掘りを埋め、トタン塀を除き、楽園を作らしめたのである」書いたのは、全生病院青年医師時代の林文雄。
アンパン一つが3銭の時代に「1日3銭、多くて10銭で全力を注いで働」かせて、其所を天国と言う医者。重い炭俵を担いで氷雪に凍てつく断崖を血の跡を残しながら登るのも、大きな石を運び道普請するのも患者作業だった。神経が麻痺した患者は、例えば釘を踏み抜いて肉体の限度を越えても気付くことなく労働に精を出した。こうして過酷な強制労働は、患者の命を縮めた。
1960年、不自由舎(不自由な患者の病舎)での患者付添が職員看護に切り替わる。あまりの激務に過労とノイローゼで倒れる看護婦が続出し週刊誌沙汰になる。「重症者に日夜侍して大小便の世話」をするのが如何に過酷か、この時職員は初めて知る。患者による患者付添の過労は美しき愛の働き、職員看護のそれは過酷。ここに横たわる人間観・世界観を、吉川四郎の『牢獄か楽園か』という題名が捉えている。林は「コンナコーフクナモノハナシ」と書き残し、患者の血と涙で建設された大島青松園の豪華な官舎で、家族の見守る中最後を迎えた。
ジョージ・オーウェル「一九八四年」の主人公は「真理省」役人ウィンストン・スミス。仕事は、日々歴史記録の改竄作業を行うこと。たとえば強制収容所を「歓喜キャンプ」と言い換えた。その目的は国民の思考を止めることであった。
林文夫は文書改竄に止まらず、小さな国としてのハンセン病療養所国民の思考を止めたのである。
JOCのキャンペーンは、国民の思考を止め,3兆円かけて国家賛美の馬鹿騒ぎに浮かれさせることである。個人の尊厳を忘却させる狙いがある。
林文夫が賛美した現象の実態は、吉川四郎のルポが当局を激怒させたように厳然として存在している。
吉川先生はたちまち療養所から追放された。絶対隔離の発案者にして療養所の独裁者光田健輔園長の説くところに依れば、ハンセン病は患者を唯一の感染源とする猛毒性の菌によるペスト並みの怖い病気である。それ故、全ての患者が死に絶えるまで療養所に隔離しなければならない。一見治ったように見えても、死んで解剖して菌が全くないことを確認するまでは、治ったと言えない。絶対隔離の仕組を作った救癩の父がそう言うのだから追放など出来ない筈。その光田が吉川先生に追放を言い渡したのである。
『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』地歴社刊 から引用加筆した。
0 件のコメント:
コメントを投稿