童話から学んだドイツのサスティナビリティ |
医者の数が、日本は致命的に少ない(人口1000人あたり、日本は2.3人、英国2.8人、仏国3.1人、独国4.1人、米国2.6人)。ことが大きいと書いた。https://zheibon.blogspot.com/2020/04/blog-post_8.html
だが一人で背負い込まず「働かない」文化=ワークシェアリングを許容し合う豊かさにも注目する必要かある。
蜂や蟻は常に忙しげだが、実際に働いているのは2割から3割に過ぎない。しかし危急の事態に力を発揮するのは、怠けているように見える蜂や蟻である。普段から全員が働きづめであればいざという時、集団は疲弊して存続できなくなるのである。あらゆる組織が、働かない者を常に確保しておく必要性があることが分かる。
「残業せず、休暇はしっかり取る」ドイツ。2018年OECD38カ国のデータでは、ドイツの労働時間が最も短い(日本は22位)
残業はしても「長時間働く人ほど評価が高くなる」わけではない。ドイツ人も働かないというわけではない。
管理職は仕事内容で給料が決まる、それが労働に於ける世界標準である。彼らは労働時間は決決められていない、残業代もない。しかし、ガツガツ仕事で上を目指す人間は進んで残業するし、家に仕事を持ち帰ることもあるという。
時間労働者は、1日の上限は8時間、上限を過ぎて働いた分は残業代ではなく時間で補償される。つまり、その分他の日に早く帰ったり、貯まった残業時間で休暇を取ることで還元される。この労働時間管理システムは特殊なものではなく、ドイツで普及しており、「労働時間口座Arbeitszeitkonto)」と呼ばれる。ただし、大企業以外は事情が異なる。ドイツでは10時間以上の労働は違法となるため、日本同様サービス残業もあるからだ。それでもそれでも「長時間働く人ほど評価が高い」という評価はなく、他の人が帰らないから帰りづらいことはない。仕事の内容が契約で明白だからである。
個人の長い休暇で、取引に差し障っても社会はまわる。そう社会は構成されねばならない。社会のために個人に我慢を強いることの愚かさを知るべきである。
ドイツの年間有給休暇は、6カ月勤務で年24日以上。日本は6カ月勤務で年に僅か10日。更に忘れてならないのは、ドイツでは有休休暇と別に病気休暇が制度化されていることである。
取引相手の担当者が休んでいる時、事情が分かる人が他に居ないか聞くと「その担当は自分じゃないから分からない」と軽くあしらわれる。社内で鍵を保管している人が長期休暇に入ってしまい、書類キャビネットが開けられなくなる。仕事は個人に属するからである。
客へ迷惑を掛けないシステムを徹底ししない。お互いに迷惑を掛けあい、不便をかこちあいながら生きる社会なのである。
結局我々日本人は、たかが単なるシステムのために首を絞めあいながら生きている。職場のいじめやパワハラは構造的なのだ。
迷惑と不便を許容すれば、他人が何をしようと同僚や顧客が自分にどのような評価を下すかも問題にしない。
日本なら直ぐ携帯で呼びだすことでも、休みに入った人の携帯にはかけない、それが常識化している。仏国会は勤務時間外の連絡を法で禁じられた。
皆勤や精勤を式や賞状で褒めることが如何に愚かなことか、今更気付いても既に手遅れ。少なくとも学校は過労死やDVの責任を負わねばならない。
僕は皆勤が習慣になった生徒たちに、通学電車で都心まで乗り越す楽しみを教えた、実行も奨励した。平日の都心の雰囲気は、彼らには新鮮な発見だったらしく、暫くは教室の興奮が収まらなかった。
そうでなければどうして教師が自由に休めようか、ストライキも打てない。それは義務とモノだけが増えてゆくゴミ屋敷的人生。卒業式で皆勤や精勤の生徒が次々と呼ばれることほど恥ずかしいことはない。
血が出ても死人が続出しても、「無駄」を徹底的に排除し、社会の持続可能性の根幹を断ち切る起業家や政治家そして教育舎たちは、日本が短期間に疲弊してしまうことを望む「売国奴」に違いない。その証拠にやけにカタカナ語をひけらかす。
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