オンライン授業は、蟻地獄に公教育を引き摺り込む

ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた
 オンライン授業にのめり込む教師が、急増。乗り遅れまいと焦りを感じる人も多い。だが便利な道具には、構造的陥穽がある。
  「SNSの「いいね!」は、君の社会性も人間らしさも破壊している 」←クリック で指摘した。
   
 ワープロやパソコンのおかげて、手書き文字が下手になり語彙は見る見る貧困になった。芸術的趣の溢れる書簡や答案は消えた。

 カーナビを使うようになって、運転は格段に楽になり便利になった。最短の新しい道を苦もなく使えるだけではない、付近のお勧めの食堂や旅館も検索できる。
 だが気付くと僕らは、生来の地理感覚を失っている。道に迷い失敗しながら、発見を重ね僕らは脳裏に自前の地図を刻み込んだ。そんな道は50年経っても忘れない。100人ドライバーがいれば、地図は百通り出来た。それは登山や知らない国の街歩きにも言える。カーナビやスマホが壊れても、苦労して刻んだ記憶は容易くは消えない。
 僕らに必要なのは、100人の教師があれば百通りの教室光景や音や風への感覚である。そこに40人の生徒たちが加われば、組み合わせは四千通りにもなる。モニター画面は風や音を背景と共に消す機能も備えている、online会議やonline授業ではそれらは雑音に過ぎないからである。しかし教室では、互いを生きた存在として認識するために「雑音」は欠かせない。生徒たちはよそ見も出来ない、お喋りも出来なくなる。

 カーナビやスマホに表示される便利な情報は、所詮CMに過ぎない。「雑音」が削除されたonline授業は「進学対策講習」の域を出ない。公教育学校のonline授業より大手塾のonline授業の方が効率だけは勝っているからである。
 文科省は、塾の授業を公教育に置き換える機会を虎視眈々と狙っている。

 公立病院の病床を政策的に減らし続けた結果が、コロナ禍に於けるpcr検査制限による感染拡大である。同じように公立学校の教室数は削減されるだろう。大手塾を中央センター教室としての授業が各公立校教室に配信されれば公立校教師は、モニター上の生徒の監視者になる。専門性も習熟も要らないから、パソナ派遣に置き換えられ、やがてリストラされるだろう。文科省や教委も管理職も、onlineソフトを通して、授業と教師を管理するに違いない。それが恐ろしくて、「僕はonlineベテラン」と売り込む者も続出するに違いない。
 嘗て進学実績を焦る高校で、大手予備校講義の衛星中継が流行ったことがある。教師たちはモニターを眺める生徒たちの監視をさせられた。


 僅かな便利さに幻惑され、amasonやrakuten を見境無く使う、安いからだ。お陰でamasonやrakutenの労働現場は地獄の光景を呈し、会社は莫大な利益を懐にするが、働く者は奴隷化。安いのを有り難がるのは、利用者側も奴隷的賃金に甘んじているからだ。オンライン授業の手軽な便利さに幻惑されればそうなる。


 
丸山眞男は「現代における人間と政治」(1961年)でマルティン・ニーメラーの言葉をひいている。

 ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。
 それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。そこでやはり何もしなかつた。
 それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。
 さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。

 僅かな工夫と決意で、対面しての授業は直ちに出来る。online授業は毒饅頭。 
 福岡県は県立学校の分散登校を18日からに前倒しする方針を固めた。1週間後の25日には全面再開を目指す。市町村立学校や私立学校にも同様の対応を取るよう協力を求める。


 

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