体制に反逆して徴兵カードを焼く学生 |
1969年、米国はベトナム戦争で揺れていた。・・・ 街角には戦車が止まり、ヒッピーや学生たちが、警官隊に追いかけられていた。街全体が白煙に包まれている。バスが大学前の停留所に止まると、武装警官が現れ、いきなり催涙銃をぶっ放した。拙僧も乗客も外へ飛び出したが、呼吸困難で地面を転げ回った。後で知ったが、これは歴史に残る〈人民公園戦争〉だったという。公園の使い方を巡って、大学理事会と学生が対立し、暴動に発展した。このドサクサにつけ込んで、反体制運動の拠点になっているこの地を抑えようと、レーガン州知事(後に大統領)が州兵を送り込んだ。僧侶中村敦夫は「なぜ?」と考え続け、英語には敬語がないとの結論に達する。平等な言葉でやり合えば、論理の正当な者が勝つと。
最近の黒人虐待に抗議する巨大デモや、トランプによるワシントンへの州兵動員を見ると、あの時の光景がまざまざと蘇ってくる。50年経っても、米国は変わっておらんわい。
それはともかく、何より驚いたのは、戦争の当事国で、市民もマスコミも、堂々と戦争に反対している事実じゃった。日本ではあり得んよ。
あり得ん話をもうひとつ。大学の授業に潜り込んでいたら、突然、教授と一人の学生が激しい論争を始めた。テーマは、ベトナム戦争の是非。どうやら、教授は政府寄りの肯定派、学生は反対の立場だった。拙僧が注目したのは、その議論の激しさじゃ。お互いに相手を罵倒し合う。日本だったら、この学生は報復を受け、進級は無理じゃと誰もが思う。しかし、長時間の議論は、突然打ち切られた。「君が正しい。勉強になった。ありがとう」。教授はそう言って握手を求めた。その素直さに、万雷の拍手が起きた。
そうかも知れない。そもそも大学生や高校生を学生=STUDENT=研究者と呼びもせず、生徒=PUPIL=弟子と呼ぶことへの抵抗感すらないのだ。言葉の専門家たるTVアナウンサーまでが、平然と大学生を生徒と呼ぶ始末。
そうであればこそ、教師は生徒学生と対話したり論戦するとき敬語を使う必要がある。起立・礼のかけ声はもってのほか。
ともあれ、こうした喧嘩的討論を経て授業の『秩序』は、学園のコンセンサスとして形成される。公僕である大臣が、主権者代表として記者の質問に「逆ギレ」する国を建て直すのは青少年の感覚にかかっている。ジャンジャン教師と論戦して勝たなければ未来は闇だ。討論して喧嘩・勝つほど勉強しろ。仕組まれたディベートを有り難がっているようでは、見込みはない。
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