知を伴わぬ力は暴走する。知が運動と結べば「危険」思想視される。

 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角かどが立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる。人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三件両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧わく。着想を紙に落さぬとも璆鏘の音は胸裏に起こる。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観かんじ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。『草枕』
                                                             
 
漱石は、博士号は要らぬ、帝大教授も真っ平と、意地を通した。だが意地は個人的、対して芸術は「住みにくいところをどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよく」する。政治も又同じ役割を持っている。
  
   米国で黒人差別が撤廃されて4年目の1957年、依然として偏見は根強かった。人種隔離は、「知のない力」として暴走し続けていた。それを打ち破るのは、思想に裏付けられた直接行動である。
 

胸を張れ、勇気ある危険思想が世界を前進させる
 Elizabeth Eckfordは白人だけの「リトル ロック高校」へ入学した最初の黒人の一人であった。白人たちは黒人高校生に大いに抵抗を示した。大口をあけてElizabeth Eckfordをけなす白人が写るこの写真は20世紀のトップ100の写真の1枚に選ばれた。
 この写真が公開された当初、この白人少女は人種平等の危険思想に反対して「正義」を貫く自身が誇らしかったに違いない。 が、やがてこの写真は彼女を苦しめることになった。Elizabeth Eckfordに謝罪し、仲良く並ぶ写真を撮ったという、1997年になっていた
 TV画面狭しと 、杜撰なhate言説に「ドヤ」顔して胸を張る芸人たちもやがて自らの姿を恥じるようになる。だが途方も無く長い年月を要するだろう。

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