自分と違う価値観や理念を持つ人が何を考えているのかを想像する「知的力」、エンパシー

  BBC制作、サッチャーのドキュメンタリー番組で彼女の側近が「彼女にはシンパシーはあったけどエンパシーはなかった」と語っていた。

   シンパシーは同情や共感などと訳される。エンパシーは、自分と違う価値観や理念を持っている人の考えに積極的に入り込み「想像する知力」を表す。日本語で何と言うべきか困っている。的確な翻訳を探す苦悩を経て、初めて言葉は世界性を獲得する。ほかに言いようがないとすれば、理解しているとは言い難い。しばらくこのまま考えてみる。 


 『アラバマ物語』でハーパー・リーは、アティカスに

 「他人の靴を履いて歩き回ってみなければ、本当にその人のことはわからない。」

と言わせている。

  You can't know how other people feel until you are in their shoes.

  Atticus said 'you never know a man until you stand in his shoes and walk about in them'   Which TWO moments in the novel is this lesson is most vivid to scout and jem? I need some evidence to support those incidence too.


  「力ある者には自らすすんで平伏する者の内面には、どんなに弾圧にも誇りを失わず抵抗した者への理由のない攻撃衝動が生まれる」こんな雰囲気の強まるこの国で、エンパシーは育つだろうか。虐めや体罰が何時までも繰り返される所以だ。

 学校の生活指導は、「公平」に拘る。いとも簡単に無遅刻無欠席を貫ける生徒がいる一方、人間関係や病苦のためどうしても遅刻欠席する者もいる。回数は努力を表す公平な目安と言わんばかりの皆勤賞・精勤賞は、前者には無意味だし後者の登校意欲を削ぐ。ある者にとっての最良が別の者の最悪や無意味であったりすることは稀ではない。公平性は管理職や生指部の自己満足にすぎない。

 これが就職後も「昇進規定」として退職まで覆いかぶさるから遣り切れない。僕自身は学校も勉強も大好きで、病気以外遅刻したことはない。いつも始業の一時間前にうちを出て教室に入っていた。腹痛や頭痛で寝ていても、痛くなくなれば我慢できずに学校に走った。もし皆勤賞・精勤賞があったら遅刻常習者になっていたと思う。僕はへそ曲がりだった。ただ平日の昼間の光景や音はとても気に入った。

 「たまには思い切って都心や奥多摩まで乗り越して遅刻し

未知の駅まで乗り過ごす
てみろよ」と生真面目な生徒に言ったことがある。翌日彼は原宿まで乗り越した。

 当日の午後、ほっぺたを真っ赤にしながら準備室にやってきた。

 「乗り越す瞬間はドキドキしたよ。先生、日曜日に行くのとは全然違うね、面白かった。人気のない神宮は葉っぱやトンボも何もかも綺麗で空気まで新鮮だった。」

 「又行きたいかい」

 「なんだかスッキリしちゃった。又いつでも行けるって分かったから当分いいや」

 何人かにすすめてみたが、反応は同じだった。東京駅や千葉まで行くのがいるだろうと思っていたから、生徒たちの常識の健康さに少しがっかりした。

 ある生徒は乗り過ごしせず、学校の屋上に寝そべって一時間を過ごした。すぐ準備室に駆け込んできた。

 「先生、空はでかいね。ずーっと見てたら地球が回っているのが分かった」

 ある優等生は、通信簿に遅刻回数を入れたくてわざと教師の点呼より僅かに遅れて教室に入った。それだけではなく「5」以外の成績を付けたくてサボった事さえあった。

 青梅で開いた夜間の学級PTAでこれらを話した。

 「家出されるより、ずっといい」という声がすぐ上がり、途端に賑やかになった。隣には校長が同席していた。


  こんなことは学年会では問題にもされない。基準にもとずく公平性に集団は寄りかかりたがる。他人の靴を履くのではなく同じ靴を履き、履かせたがる。他人の靴の歩きにくさ、未知の世界の入口に立つ不安を知ることなしに、empathyに達する事は決してできない。

 他人の靴を忌避し続ける間は、教師の仕事も父母や多くの働く他者のempathyを喚起出来ない。

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