大きな声が必要なのは誰か

  ある都立高校のgooglemaphttps://www.google.co.jp/maps/ 口コミ欄にこんな感想が寄せられている。

 「毎週末、グラウンドでの部活動がチンピラまがいの騒がしさです。野球部とサッカー部もかな。わざわざ、校舎側でなく民家側に寄って無駄な大声を出し放題。ペアガラスなんて意味なく、音楽も聴けません。

 例えば試合で、誰かが良いパフォーマンスした時などに盛り上がる位は全く構わないのですよ。楽しんで欲しい。ですが、練習などでワンアクションする度に無駄な掛け声など必要か?大声出せばパフォーマンス上がるのか?上がらねえよ。子供達が悪いのではなく、指導者が問題。大声出させたいなら校舎側でやって。」


 この学校も嘗てはnhk tvの番組で度々取り上げられる程の所謂「名門」だった。敷地の民家寄りには古い学校らしく大きな桜並木があり、絶好の日陰を造る、そこに複数の部活数百名が集まり騒ぐから喧しい。

 「名門」なら何でも許されると言わんばかりに部活顧問教師は無神経に大声を煽る。近隣住民の堪忍袋も切れる。

 大きな声が必要なのは「住民」の方ではないか、「うるさいぞ、迷惑だ」と注意を喚起する為に。しかし彼らは窓を閉め切って怯える。

権力は飾り立てたがる

 関東大震災の時も大きな声を挙げ威圧したのは武装した自警団。朝鮮人や中国人・社会主義者たちは為す術無く惨殺された。「武装した自警団」とは言わば公権力の規制から逸脱した「自由主義」者=「新保守主義即ちネオコン」に他ならない。近代民主主義社会が成立すれば、公権力は「自由主義」とは相容れない。

 公権力は声がやたらに大きく勲章や地位の好きな「お上」とは本質的に違う。特に学校では自覚する必要がある。教委も学校管理職も安易に自らを「お上」に擬えたがるからだ。勘違いも甚だしい。彼らは公僕であり、公権力=市民による議会に忠実でなければならない。それは多数決とは次元が違う。常に小さな声に敏感でなければ、平和と教育は直ちに崩壊する。

盗んだ品物を返しさえすれば窃盗の罪もチャラかい?

 定期テストや進級テストで不合格宣告されたら、事後訂正すれば合格か?  医師国家試験や司法試験終了後、間違いがあっても言い訳すれば合格なのか?   だって自民の国会議員のやり放題は、ズバリそんなとこだ。

 自民党国会議員の政治資金パーティー裏金作りは、秘書のミスや事後訂正で済ませて知らん顔が当たり前、それをマスメディアがもて囃す。元々怪しさ満載の政党交付金制度導入自体、企業・団体献金禁止が前提だった筈。

  そんな国家・民族なのか、僕の住むこの場所は。原爆を二度も落とされ水爆の害さえ被ったにもかかわらず、加害国家に従属して80年が過ぎようとしている。あろう事か、被爆者を差別し加害国家の隠蔽工作に忖度し続けている。

 我々はとんでもない「思考停止」に陥っている。

 世界に類を見ない大規模な消費税を自然現象のように受け入れ、天皇一族には珍妙な敬称をつけたがり面倒で費用の嵩む元号を不必要に弄びながら、他方では福祉教育医療を後退させ続ける。

  利用価値のうすい「北方領土」や竹島・尖閣諸島には眦を決して拘るが、戦犯昭和天皇は住民ごとアメリカに占領続行を懇願させ責任を問おうとはしない。正常で独立した判断を捨てたか、麻痺させたか、無知なのか。この時新憲法は既に施行されていたのだ。

 「天皇陛下万歳」や「殉忠愛国」「天皇帰一」「皇国の亀鑑」に類いする呪い言葉は、この民族の批判精神を凍結させたのだ。

  スポーツや遊戯のプロ化も大掛かりだが手軽な「思考停止」装置に他ならない。何故ならあらゆる進歩や発展の指標が悉くアジア諸国に追い抜かれている現状への考察をさせないからだ。

  学校に於ける「思考停止」装置は「部活」である。教委や管理職にとって学校の使命は授業では無くなって久しい。その証拠に校長は授業出来ない身分である事を恥とも屈辱ともしないのだ。ひたすら校舎の壁や廊下に各種大会の入賞歴を晒す事を誉れとしている。何時になったら、校長や教委が授業に夢中になるのだろうか。

パレスチナ・ガザ沿岸に「病院船」を派遣するイタリア

 CNNによれば、 イタリアは2023.11月8日病院の機能を持つ海軍の船舶をパレスチナ自治区ガザ地区へ派遣する。現地の犠牲者を治療するためという。クロセット国防相は記者会見で、この病院船は8日にもイタリアを出発すると述べた。船の乗員は170人で、このうち30人が救急医療の訓練を受けているという。報道によれば、パレスチナ側との合意に基づいて、野戦病院を直接ガザに搬送する。彼は「我々はあの地域で人道的活動を行う最初の国であり、他の国々も我々に続くことを望む」と述べたという。


  かつて僕は、米軍にの戦争参加要請に抗してベトナムに病院船を派遣したドイツについて書いた。

   「 病院船・コロナ病床jet機による国際主義という決断 」     https://zheibon.blogspot.com/2020/08/jet.html

 再掲する。

病院船・コロナ病床jet機による国際主義という決断

Helgoland号甲板の乗り組み看護婦と治療後のベトナム幼児
 ベトナム戦争中米国は、同盟国ドイツにも参戦を執拗に要請した。だがドイツ政府が出した答えは、病院船派遣。ドイツは武器と兵隊ではなく、病院船ヘルゴラント号をベトナムに送った。ヘルゴラント(Helgoland)号は、遊覧船だったが、病院船に改造されベトナムに向かう。ジュネーブ条約を遵守、米国の民族皆殺し政策に加担して殺すのではなく、北ベトナム、南ベトナム双方の民間人を治療したのである。ベトナム人からは、「白い希望の船」と呼ばれ歓迎された。昼は港に入って患者の手当てをし、夜はより安全な沖で待機。ドイツの医師や看護師たちは、来る日も来る日も手足の切断手術や、米軍のナパーム弾で体全体にやけどを負った人々の治療に励んしだ。

 これは、沖縄の基地をベトナム爆撃に使わせていた日本が率先してやるべきことだった。憲法九条を持つ自称「海洋国家」の何たる失策。世界に反戦運動が盛り上がる1969年、進水した原子力船「むつ」は失敗を重ね、膨大な費用を文字通りドブに捨てた。為にならないことには精を出し、害が明らかになっても中止する判断さえ出来ない。希望がない。
 


独は、伊からのコロナ患者輸送のために、エアバスA310 を改造
 そして今度は、コロナ患者のための世界最高のMedEvacである。高度な施設での治療が必要な患者を、治療を行いながら迅速かつ効率的に医療機関に搬送するICU専用jet 機。ドイツは、イタリアからドイツの病院にコロナ患者を運ぶために、エアバスA310 を改造。この飛行機には44床のベッドがあり、そのうち16床は高集中治療患者向けのもので、最大25人の医療スタッフが搭乗していると。

 病院船も ICU専用jet 機も、日本にこそ必要なものではないか。全国に散らばる離島のコロナ患者や医療破綻自治体の為に、複数のICU専用jet 機と病院船、そして病院列車が、大勢の医療stuffとともに必要だ。
 中国封じ込めのために、阿倍が世界中に専用機でばらまいた資金援助だけで 30 兆円。
 せめて首相専用機をICU専用jet機にしても罰は当たらない。何ら有効活用していない豪華専用機だ。
 莫大なコロナ対策費が、又もドブに投じられ却ってコロナ禍を広げ深刻化させている。
 集団的自衛権行使を容認して積極的平和主と嘯く日本は、いつまでも経っても、失敗を認めない、惨劇を中止出来ない国だ。
 日米欧6カ国首相のコロナ対応策調査を「ケクストcnc」が7月中旬各国1000人対象に行った。プラス評価はドイツのメルケル首相(42%)のみ 、最低は日本阿倍首相のマイナス34%。


  関連記事

https://zheibon.blogspot.com/2018/10/blog-post.html


 

   


 

「勝つことだけ」に執着する「プロ」の悲劇 Ⅰ

 

   引退する頃にボンヤリ分かっていたことが、三年ほ

 元世界フェザー級王者。通算103KO勝ち 
ど前になってハッキリ分かったんだよ。俺が女も家庭も全て捨ててやって来たボクシングが、実は金持ちが貧乏人を殴り合わせて見物する非道いことで、しかも金は結局見物していた連中が、、いろんなテクニックで巻きあげてしまうのさ、・・・ファイト・マネーの上前ははねる。その上、やれ一緒にビシネスをやろうとか、出資しろ、土地を買って朝鮮キャロットを植えれば、ボクシングをやめてもピンクのキャデラックに乗り続けられるなんて、それはいろんなことを言って来るんだ。リングに登る直前の控室から、一文無しになったこの頃まで、男も女もひっきりなしに俺の金を狙い続けるんだ。ボクサーは、強ければ強いほど他のことはあまり知らない。それに減量や練習が辛くて堪らないし、試合の前には怖ろしさで気が狂うか、そうでもなければどこか遠くに逃げてしまいたくなる。だから、つい一番そばにいる自分の女に当たってしまって、引退する頃には独りぼっちで、一緒に考えたり心配してくれる者もいなくなってしまう。   サンディ・サドラー   元世界フェザー級王者。通算103KO勝ち 


   集団の中にどんなに優れた人がいても、集団の判断は知能の低い者に向かって平均化される。   マクドゥーガル   

 戦争や災害など密室化した空間で、我々は理性的判断を如何に保てるのか。社会が特に報道が、批判を怖れないことは不可欠。しかし今この国は戦争でも無いのに、新聞もTVも挙げて理性的・合理的判断を放棄、「勝つことに執着」している。 Japan as Number Oneと持ち上げられ慢心し続けたこの国は、あらゆる指標で落ちぶれ内に籠もっている。容易く稼げる「一位」を探し、やっぱり優れていたとの判断に縋ってしまうのだ

 

 勝敗に関係なく相手を理解することは、自己認識の前提である。負けることや互いに楽しみを分かち合うこと以上の悲しみはない。

   幸いに通算103KO勝ちのチャンピオンサンディ・サドラーは、「強ければ強いほど・・・他のことはあまり知らない。それに減量や練習が辛くて堪らないし、試合の前には怖ろしさで気が狂うか、そうでもなければどこか遠くに逃げてしまいたくなる。だから、つい一番そばにいる自分の女に当たってしまって、引退する頃には独りぼっちで、一緒に考えたり心配してくれる者もいなくなってしまう。」ことに気付くことが出来た。

 プロ野球、プロサッカー、プロゴルフ、・・・プロパチンコ、プロ麻雀・・・今や栄光のオリンピック各種競技もアマチュアでは無い。放映権で荒稼ぎする業界お抱えのプロだ。囲碁将棋も少年時からプロを目指したくなる。だが強くなればなるほど他のことは知らなくなる。これを成長と呼ぶことは出来ない。

 人間は全面的な発達を目指すべく宿命づけられている。

何時「才能」が発現するか、開花しないかも知れない。子ども時代からプロを目指すのは、才能の芽を早期発見することではなく、可能性を摘み取ることにしかならない。どんな時期に如何なる環境で誰とともに才能が伸びそして消えるのか。たとえ死ぬまで才能の発現が無いとしても、彼も又天才かも知れない。。比べ競うことは犯罪的賭けなのだ。失敗して路頭に迷う確率は、成功するより遙かに高い。

 手当たり次第にtopを目指す性癖は天皇制fasismの逃れられない宿命である。

 第1次南極調査隊の副隊長兼越冬隊長の西堀栄三郎や初期マナスル登山隊の今西綿司らは登山家としてはアマチュアであった。それ故「強くなればなるほど他のことは知らなくなる」ことからは自由であり、優れた科学者として成果を挙げ続けることができた。

 コロナ対策の「専門家」会議の医者や学者たちは、病院経営の専門家=「プロ」として莫大な利権を手中に収めた。利権を手中にすればするほど医師や学者としては、恥多き失敗をかさねている。

 アマチュアであり続けることだけが人間らしい成長や発達の不可欠の条件なのだ。鶴見俊介も小田実も決してプロ評論家やプロ作家では無かった。

元いじめられっ子と元番長たち

  「「突っ張るのを止めた」生徒たち」でもう一つ思い出した。

 あれは遅刻の量も質もずば抜けて多いクラスで、会議のたびに担任の僕は槍玉に挙げられた。だが、面白さも抜群だった。

 下町の工業高校にやって来た元番長の猛者たちが学習意欲を高めたのは、小中学校でいじめ尽くされすっかり自信を失っていたO君と仲間になってからである。

 学級担任することになって、僕のクラスにだけ元番長が三人も揃ったことが判ったとき、多くの教師がある古手グループの「陰謀」を疑った、7学級のうち特定の学級にだけ中学校の番長を務めた三人が揃う確率はあり得ない。あったら分散させる。

 僕はそれらしい「陰謀」の主たちを思い浮かべてムカッとしたが、知らんぷりすることに決めた。

 最初のHRで、僕は開口一番「人間は誰だって知られたくない過去がある、中学校からの内申書は見ない」と言っておいた。

 すぐに、どこかそれらしさが残る生徒が準備室にやってきて

 「先生、ほんとは知ってんだろ、俺のこと」

 「名前以外は知らない、内申書のことだろう、見るか」と言ってロッカーの引き出しを開けてみせた。一クラス分の内申書が一通ずつ封印したまま紐で括られて入っている。

 「ホントに見てないんだ。・・・先生、俺番長だったんだよ。でも安心しなよ。俺もうしない、そう決めてんだよ」

 「そうか、君は有名人だったのか。でもやめるんだろ。だったら今聞いたことも忘れるよ。これから君がこの学校でやることだけが、君の価値を決めるんだ」

 次の日三人の元番長が揃ってやってきて、それぞれが別々の学校で総番長をしていて互いに知り合いだったと自己紹介をした。その一人はある区の番長組織のサブリーダーだった。三人とも口を揃えて

 「高校生になってから突っ張るのは、ガキ。高校デビューっていうんだ。だからもうやんないよ、安心しなよ」という。

 「じゃー勉強するために、学校に来たのかい」

 「そのつもり、一応将来のことも考えようと思ってんだ、よろしく、先生」よく見れば三人とも人懐っこい顔している。


 さっそく始めた個人面接では、先ず皆に「君たちの名前以外何も知らないから、自己紹介してくれ」と言った。

 だがO君は下を向いたまま何も言わない。

 「いじめられたかい」と聞くと、大粒の涙が落ちて音を立てた。小学校でも中学校でも、男子からも女子からもいじめ尽くされた経験を語った。

 「このクラスになったからには、絶対にいじめはさせない。約束するよ」そういうと

 「・・・先生、僕勉強できるようになりたいんです。どうしたらいいんですか」

 「二つある。一つは友達に教える。二つ目は自分が興味を持ったことを、自分で調べてノートを作ることだ。なるべく長く一つのことを」

 彼が興味を持ったテーマは『教師の犯罪』。夏休みや冬休みのたびに、大学ノート一杯に新聞記事を貼り付け、本からの引用を使った感想を添えて、見て下さいと持ってきた。選んだテーマに彼が小中学校で受けたいじめの実態が見えて、胸が痛んだ。

 授業が始まって暫く経つと、O君が級友に親切に教えていることが教員の間でも知られるようになった。友達から聞かれてわからないことは、自分で調べたり教員に聞いたりしていた。元番長たちは、ことあるたびにO君の厄介になることになった。お陰で、彼の成績は三年間すべて「5」、造った実習作品も素晴らしい出来で、卒業後は展示された。


 だが、彼の家庭には不幸や不運が続き、アパートの電気やガスが止められたりした。昼飯を抜いて教室でぐったりすることも続いた。元番長たちはオロオロして僕に助けを求める。

 「先生この頃O君何も食べないんだよ。昼休みも机に突っ伏したまま。俺たちがパンを持って行っても食べてくれないんだ。何とかしてよ」百戦錬磨の番長たちが、友達のことではオロオロするのがおかしかったが、O君を呼んで話を聞いた。父親も姉も家を出て、家賃も払えない部屋に彼一人が残されたのだった。放課後飲み屋でアルバイトしていたが、そこで晩飯が出る、それだけで耐えていたのだ。しかし彼の成績が下ることはなかった。


 夏休みに元番長三人は神津島に行く計画をたて、O君を招待した。「そんなつもりで一緒に勉強したんじゃない」と固辞するO君を、説得してくれと又泣きついてきた。O君も戸惑っている。

  「あいつらは、君と親友になれたんじゃないかと喜んでる。きみはどうだい」

  「僕も嬉しいです、こんな友達が出来たのは初めてだからどうしていいかわからなくて」

 「こうしょう。今は金がなくて苦しいから、好意に甘える。就職して楽になったら、かえす。または君があいつらを招待する」

  「わかりました。そうします」と笑顔を見せた。

 対等な関係が育む友情は、三人にとってもO君にとっても文字通り目くるめく体験だったのだと思う。

 元番長たちはそれぞれなかなかな企業に就職。三人をまとめて僕のクラスに画策した古手教員はわざわざ当該企業に電話を入れた。その一つ、日本を代表する名門企業の人事部は「元番長だと言うことも知った上で採用しました。大きな組織では彼のような繊細なリーダーシップが欠かせません」と僕にも連絡をくれた。O君は立派な大学の推薦入学も大企業もあっさり断って、現場密着の小さな会社に就職した。

 個人も組織も国家でさえ、突っ張るのを止めたいと願っている。その環境を整えることが出来るのが成熟した「社会」である。

 SSHなど目立つ学校の生徒が強いられる致命的不幸は、O君や元番長たちに決して巡り会えないことだ。彼らが政治的指導者や指導的経営者に成った時、彼らはO君や元番長たちを国や職場の主権者として認識出来るだろうか。

北朝鮮とロシアの接近で思い出したことがある。

   当blog『「突っ張るのって疲れるのよ」 何もしないという作為』   を再再引用する。

     あれは確か1992年の二学期だった。二人組が準備室にやってきた。

 「ねえ、褒めてやってよ」と僕の横に来ていきなり言う。

 「今日の○○、かわいいでしょ」 

 「いつもかわいいじゃないか」と言うと○○さんが照れている。

 「そういえばいつもと違ってる」

 「でしょ、スカートも短くなったし、化粧もしてないでしょ」

 「うーん、美人になったし賢く見える。どうしたんだ」

 「・・・一年生の時は私たち別々のクラスで浮いてた。友達は出来ない、つまんないことで担任にガミガミ叱られてばっかり。でも負けたくないから突っ張るしかないじゃない」

 「二年になって同じクラスになって、似たもの同士ですぐ友だちになった」

 「それで、このクラス何となく居心地がいいのよ、先生もぼーっとしてるし、気が付いたら突っ張る必要がない、突っ張るって疲れるのよ、だからやめちゃった。そしたら親も急に優しくなるし、・・・」

 「だからさ、褒めてやってよ、えらいでしょ」 

 「えらいよ、二人とも。突っ張るのは疲れると気付いたのも、その友だちの変化に気付いて「えらい」と言ったのも」

 「私も突っ張るのやめるよ、ほんとだよ」

   

 事柄は何かをなして遂げられるよりは、なさないことによって思いがけない形で実現することがある。青少年は猫に似て、追えば逃げ、ほっておけば寄ってくることがあって難しい。僕はつくづくそう思う。

 でもね、「何もしないこと」は「何もしないこと」によって維持されるのではない。「何もしないこと」をすることによってしか起きない。人間は他人の目を意識して、知らず知らずのうちになにかをしてしまう惰性・癖がある。例えば小舟が、海流中にあって何もしなければ、流され翻弄される。どちらにも流されないためには、エンジンをかけ、船首を海流に向け、海流と同じ速度で進まなければならない。海流の方向も早さも刻々変わる、一刻たりとも注意は怠れない。しかし他人からは「ぼーっとして」何もしていないように見えなければならない。でなければ猫は警戒する。

 数日後、○○さんのお母さんが、挨拶にみえた。控えめで品のいい人だった。

  ○○さんを連れてきた少女は、数学に於いては天才的能力を持っていた。数学の授業は熟睡していても試験は満点。 試しに最も難度の高い大学入試問題を与えると、暫く考えて易々と解く。しかも模範解答より美しく短い。字の配列もバランスがとれて美しい。明晰という言葉が浮かんだ。だが数学の教員は、やれば出来るのに寝てばかりいるとおかんむりで、いい成績はつかなかった。僕はその分野に進学させなければならない、と考えいろいろ試みたが、彼女はすっかり臍が曲がってしまっていた。

 学校は、生徒の才能を探り当て伸ばすことはなかなか出来ないが、漸く芽生え大きく成長し始めた才能を打ち砕くことだけは確実にやり遂げるのである。これがプラス・マイナスゼロならまだ救いはある、どう見ても大きな欠損である。


  北朝鮮を「突っ張るしかない」状況に追い込んだのは、米日韓。ソ連中国に接近した地域に混乱を巻き起こしたのは日米結託の「単独講和」であった。民族を一方的に分断し、片方だけに賠償したのだ。あたかも地球上に存在しないかのような扱いだった。「突っ張らなければ」完全に無視される。

    「・・・一年生の時は私たち別々のクラスで浮いてた。友達は出来ない、つまんないことで担任にガミガミ叱られてばっかり。でも負けたくないから突っ張るしかないじゃない」

 「二年になって同じクラスになって、似たもの同士ですぐ友だちになった」

 「それで、このクラス何となく居心地がいいのよ、先生もぼーっとしてるし、気が付いたら突っ張る必要がない、突っ張るって疲れるのよ、だからやめちゃった。そしたら親も急に優しくなるし、・・・」

 「だからさ、褒めてやってよ、えらいでしょ」 

 「えらいよ、二人とも。突っ張るのは疲れると気付いたのも、その友だちの変化に気付いて「えらい」と言ったのも」

 「私も突っ張るのやめるよ、ほんとだよ」

 北朝鮮は突っ張る必要が無くなったと僕は見ている。日本だけが急速に没落しながら突っぱれもせず、東アジアで「浮いて」いる。

ハイケンス「セレナーデ」が番組の開始を告げたのが午後四時半頃。  番組が終わるとどの家からも深い溜息が聞こえ、やがて祖母たちが、庭で遊びで明け暮れる子どもたちを見ながら「もう、こん子たちゃ、戦争に取られんでん済んとやなー」と繰り返す光景を思い出す。

  NHK、『尋ね人』は1946年(昭和21年)7月1日から1962年(昭和37年)3月31日 迄続いた。   1960年(昭和35年)の放送時間は、ラジオ第1放送で月曜日から土曜日の午後4時25分から29分。「セレナーデ」はそのテーマ音楽だった。

    当初NHKの『尋ね人』『復員だより』『引揚者の時間』の3番組があって、聴取者から送られた太平洋戦争で連絡不能になった人の特徴を記した手紙の内容をアナウンサーが朗読し、消息を知る人や、本人からの連絡を番組内で待つ内容であった。やがて『尋ね人』一本に集約。

 放送期間中に読み上げられた依頼の総数は19,515件、その約1/3にあたる6,797件が尋ね人探しに成功した。集落全体が静まり聴き入った訳である。

   アナウンサーが淡々と読み上げた手紙の内容がここにある、←クリック  

  昭和20年春、○○部隊に所属の××さんの消息をご存じの方は、日本放送協会の『尋ね人』の係へご連絡下さい。

 シベリア抑留中に○○収容所で一緒だった○山○夫と名乗った方をご存じの方は、日本放送協会の『尋ね人』の係へご連絡下さい。

 旧満州国竜江省チチハル市の○○通りで鍛冶屋をされ、「△△おじさん」と呼ばれていた方。上の名前(あるいは、苗字)は判りません。

 ラバウル航空隊に昭和19年3月まで居たと伝え聞く○○さん、××県の△△さんがお捜しです。

 昭和○○年○月に舞鶴港に入港した引揚船「雲仙丸」で「△△県の出身」とおっしゃり、お世話になった丸顔の○○さん。

 これらの方々をご存じの方は、日本放送協会まで手紙でお知らせ下さい。手紙の宛先は東京都千代田区内幸町、内外(うちそと)の内、幸いと書いて「うちさいわいちょう」です。


 番組が終わるとどの家からも深い溜息が聞こえ、やがて子供たちの歓声が再び露地を駆け巡った。このひと時を戦中を耐え生き延びてきた大人たちは深い悲しみとともに、戦争放棄の憲法を持った喜びをかみしめた。

 祖母たちが、庭で遊びに明け暮れる子どもたちを見ながら「もう、こん子たちゃ、戦争に取られんでん済んとやなー」と繰り返す光景を思い出す。衣食住すべて不自由な明るい貧乏が、平和憲法を握りしめていた。


    しかし朝鮮戦争特需は、貧しい平和にとって中毒性の「毒饅頭」となった。握り締めたはずの貧しい平和は脆く崩れ去った。貧しさの中に平和を生きる思想が欠けていた。


王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...