共謀罪の種

  共謀罪が衆議院を通過しかねない。「おそれ」のあることに対する過剰で倒錯した意識が我々の中にある。
  日本の学校は手間も時間も費用もかけて、生徒との対話や授業の準備を削減してまでタバコ対策に躍起になってきた。その徹底ぶりは、アメリカのタバコ会社が巨費を投入して分析したほどである。にもかかわらず日本の受動喫煙対策は恥ずかしいほど遅れている。これは不可解なことだ。
 学校は、たとえ喫煙していなくとも、たばこ・マッチ所持も喫煙行為同様に罰した。観光地限定のたばこを身内から頼まれて修学旅行のお土産に購入しても処罰。
 喫煙が「発覚」すれば、本人が否定しても「処分」した。冤罪だと抗議すれば、「これは刑罰ではない、指導だ」と言い逃れて平然としていた。それでも「処分」に従わない生徒には「指導拒否」の名目で毅然たる態度を示したのである。
 更に本人は吸っていないのに、級友が目の前で喫煙して注意しなかったというだけで、同罪という言葉を使って処罰した。「生徒同士で喫煙を注意するのはいいことです、いいことを奨励するためにそれを怠った者に注意を促すのです。正直者がバカを見ないために・・・」と言い訳した。そんな人間が 、体罰教師やセクハラ常習者に注意する光景を見たことはない。
 管理される側・生徒の行為は、その周囲まで万遍なく「罰」の対象とした。他方、管理する側・教員の行為は、明白な犯罪であっても見逃された。
  共謀罪の種子は、こんなところに蒔かれたのではないか。管理に強く反発していた者でも、一旦管理する側に立つと、主観的「おそれ」だけで管理下にある者の行動や思想を制限してしまう。得てして教育委員会で、辣腕を振るうのは組合活動家出身の管理職である。抵抗する者の思想を弾圧制限して、実は管理する側にたった個人は、己の一貫した思想・人格を投げ捨ているのである。一貫しているのは「力」への哀れな執着である。

 アルジェリア独立戦争で30万人を殺害して解放戦線弾圧の指揮を執ったのは、対独レジスタンスの英雄マシュー大佐であった。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...