近代日本に取り返しのつかない禍根を残した「ディベート」が二つある。両方とも、論争と言える代物ではない。
一つは脚気を巡る栄養障害説と病原菌説の論争。これは明治天皇を巻き込み、陸軍と海軍、西洋医と漢方医、東大と私学の面子をかけた国家的規模のもの。白米という面子にこだわって、日清・日露戦争では脚気死が多発。戦死者を遙かに上回った。陸軍軍医局長として年間数万の死者を出し続けたのは、軍医総監、従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士森林太郎である。
もう一つは、ハンセン病の伝染と患者の絶対隔離を巡る論争。全世界の医学会を敵に、絶滅隔離を続けた日本ライ学会の頑迷窮まる姿勢は2001年 「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟判決を待たねばならなかった。100年に及ぶ監禁虐待殺人に対する責任を負うべき者には、文化勲章が贈られている。
共通するのは、主流派に「真実の発見」への姿勢が徹底して欠けていた点である。集団の面子を賭けて、ひたすら勝つことだけを目指す。
罵り合い、自己満足に浸る時と能力を、真実の発見に向けた共同が求められる。
非対称性がどんな論争にもあって、業界・報道機関ぐるみで争点は一方的に据えられてしまう。それを克服するために、桑原武夫や鶴見俊輔が力を注いだ共同研究的手法は優れている。彼の指導下にいかに多くの多様な知識人が育ったことか。本来は人類全体の知的遺産として共有すべきを、ただ遊技のように争う。見苦しく生産的ではないことは、先に挙げた二つの例に明らかである。
真理・真実への問いは、知識にとって根本問題である。ならば「真実の発見」への姿勢が徹底して欠ける時、一体知識とは何なのだろうか。消費する無知と言うべきである。
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