独裁は、若い知性を恐れている


行方不明になった若者たち
 アルゼンチン映画 "Night of Pencils"の原題は、La nocha de los lápices ←(クリック) で、「『鉛筆たち』の夜」。アルゼンチン国軍による、民主的活動家の誘拐殺害作戦名である。「lápices」=「Pencils」とは、高校生や大学生・知識人活動家に対する兵士の蔑称で謂わば「鉛筆野郎」であった。
 1976年3月24日、アルゼンチン陸軍司令官ホルヘ・ラファエル・ビデラが、クーデターで政権を掌握し、5日後には「大統領」に就任。その数ヵ月後から7年間で約20万人の若者や知識人などが拉致・殺害された、Guerra Sucia、汚い戦争と呼ばれる。殺害の犠牲者の数は、3万人。多くが死亡場所および死亡時刻が確定できない「行方不明者」である。

 映画の舞台は、1975年のアルゼンチンの地方都市ラプラタ市。高校生のパブロ・ディアス(Pablo Díaz)とそのガールフレンドのクラウディア・ファルコーネ(Claudia Falcone)と、オラシオ、ダニエル、パンチョ、クラウディオ、マリア・クララらは、デモなどの運動により、学割定期券を実現したり地域活動を展開していた。
 しかし1976年3月24日の軍部クーデターが発生。軍の活動家誘拐作戦により、事態は一変。仲間が誘拐されはじめる。パブロも覆面の男に自動小銃を突きつけられ、拉致される。連行された競技場では拷問のすえ銃殺された活動家らしい男の姿を目撃する。パブロ自身も拷問を受ける。移された刑務所でクラウディアも含め誘拐された仲間と再開。クラウディアは兵士に強姦されていた。パブロは更に別の刑務所に移され、数年後釈放されたが、クラウディアら他の仲間は行方不明のままである。
  拉致され高校生パブロ・ディアス(Pablo Díaz)の実話を綴った著作 "Noche de los Lápices" が、1986年に映画化されたものである。登場人物は、かつて実在した少年たちである。
  
  僕はこれを視て、日本軍大本営が計画的に行った、シンガポールにおける華人大虐殺を想い浮かべた。1942年3回にわたる「大検証」(粛正)で、シンガポールの華人約5万人が殺された。「学校教師・新聞記者・専門職・社会的地位のある者」のほか、学歴所有者「財産を5万ドル以上持っている者」なども含まれ、日本軍に犯行を企てる可能性のある知的要素のある者全てが対象だった。謂わば、シンガポールの「鉛筆野郎」である。犠牲者たちは、1961年12月まで発見されなかった。
                          
  アルゼンチンのGuerra Sucia、汚い戦争中、「軍と癒着した大企業が、経営に邪魔な人間の拉致を依頼していた」事や「軍部が、妊娠している女性をさらって子供を産ませてから殺し、子供のいない軍の幹部に赤ちゃんを売り渡していた」ことも発覚している。殺害は残忍で、纏めて飛行機から冷たい海に突き落すなど常套手段だった。

  軍事政権時代から、行方不明者の生還と真実の究明を訴えつづけてきた「五月広場の母たち」がある、行方不明者の母親たちを中心に結成され、毎週木曜日、大統領府前の五月広場を、白いハンカチを頭に巻いて、無言の「抗議の行進」を続けてきた。立ち止まったり、声を挙げれば逮捕されたからである。
「五月広場の母たち」がつくった大学がある。 Universidad Popular de Las Madres de La Plaza de Mayo  運営は基金を募って、学生は無償で授業を受ける事が出来る。
  独裁者が嫌うのは、若い知性である。若い知性が増えることが、軍事独裁の芽を摘む事になる。
 アルゼンチン最高裁は軍事独裁の国家犯罪を裁くために、2005年には「恩赦法」を違憲と判断している。「恩赦法」とは、拉致や殺害に関わった元軍幹部らのために制定されたものである。ここには、歴史修正を断じて許さない決意がある。

  大学や高等学校のカリキュラムが、政権の要求を反映して作り替えられているとき、それが若者の知性をどちらに向けようとしているのか、見極めねばならない。

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