トスカニーニとアジェンデ 3 少年にとって主権者であること

   大阪市長は、「子ども議会」で中学生の要求に「それはあなたが市長になってからやってください」と言い中学生の反感をかった。彼は何のために子ども議会を設置したのか。
 一体「子ども議会」とは何なのか。子どものの要求を聞くことなのか、子どもに地方自治や政治を学ばせることなのか。もし「聞く」事であるなら、「聞き置く」事ではないわけであるから、聞きそれを実行するための根拠が無ければならない。「子どもの権利条約」を批准した以上、国も自治体も学校も根拠となるべき法律や制度を整え予算を計上しなければならない。そんなものはこの国の何処にもないから、子どもの要求は、ただ聞き置く事に過ぎない。では、自治や政治を学ぶためだろうか。であれば、本会議や委員会を傍聴する必要がある。議員と首長や行政責任者との遣り取りを聞いた後、関係者に質問が出来てこそ政治を学んだ事になる。議場の形と椅子の座り心地を知ることは、政治そのものを学ぶ事とは関わりが無い。
 子どもや生徒を主人公にするとはどういうことなのか。児童会や生徒会は、何をするところなのか。運動会の種目や文化祭の中身すら決められない。入学式や卒業式で「今日の主人公は皆さんです」と言われる時以外にないのでは無いか。そこで言われるのは、来賓に恥ずかしくないように、元気よく笑顔で教員の指示に従えという事に他ならない。判断や決定は、総代の読む答辞にさえ生かされない。
 教員のデモやストライキに生徒会が、支持や支援を決定したり参加することなど想像だに出来ない。個人的にプラカードをつくり沿道で声を挙げることもない。しかしかつては、安保条約反対のデモに小学生が参加し、勤評反対の子どもが府議会議場を占拠したこともあった。

 時折、アイディアの枯渇した商店街や町が「高校生がつくったお菓子」などを売り出して評判になったというニュースが、ネタの切れた報道番組に挟まれる事がある。大抵は制服を着た高校生が「開発」したお菓子を手にして画面に現れる。しかし、構想は商店街や町が既に作り、実行だけがアイドル代わりに女子高生に委ねられるのである。

 高校生を子ども扱いして、決定させず主権者としての構想力を育てようとしない風潮に怒らねばならぬ。先週土曜日のことだ、アメリカで銃暴力へ抗議して100万人近くがデモ行進した。これは過去数十年で最大規模。我々の高校生との違いは何か。

  フロリダ州パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で乱射事件が起こったのはバレンタインデー、
高校生と教師17人が殺害された。アメリカでは2017年だけで346件の銃乱射事件がおこった。この最悪の事態でも、何も変わらないだろうという諦めが支配していたという。
 しかしアメリカでは、3000校以上、100万人を超える高校生が授業をボイコットした3月14日に続いて、3月24日100万人近くがデモ行進した。


World socialist web siteから一部を引用する。
Washington, D.C.An estimated 800,000 people marched in the main protest in Washington, DC, with crowds of people filling out the entire parade route along Pennsylvania Avenue. The second largest demonstration took place in New York City, where an estimated 150,000 people participated. Police estimated crowds of 40,000 and growing in Los Angeles early in the day. A crowd of 30,000 took part in the Chicago march, with thousands more in every other major US city. Demonstrations also took place in major international cities, such as London, Paris, Berlin, Sydney and Tokyo.
Student-led demonstrations of this size have not been seen in the United States since the mass demonstrations against the Vietnam War nearly fifty years ago. The scale of the demonstrations show that the profound crisis of American and world capitalism is working its way into the consciousness of young people and propelling a new generation into political struggle.


  日本で言うなら、反原発や核兵器禁止、森友真相解明を求めて高校生が50万人デモに参加することにあたる。アメリカでは、スピルバークが高校生たちに賛同して50万ドルを寄付するなど共感が広がっている。

  現地からの報道の中にこういう記述がある。
  「(銃規制)運動を主導した生徒たちの大部分は、高校で演劇課程も受けていた。また、学校新聞を運営し、放送ジャーナリズムを学ぶ若きジャーナリストたちでもあった。その1人デービッド・ホッグは、銃撃中に身を隠しながら級友たちをインタビューし、映像を公開。クリスティー・マは「生々しい感情を伝えるため、できる限りの写真を集めた」と言う。 確かにダグラスの生徒たちは、公教育が無情に切り刻まれるこの時代に、比較的裕福な地区の学校で特殊な機会に恵まれた。だが、演劇やメディア、演説、政治活動、討論などをきめ細かく教育されてきた生徒たちが、偶然にも学校銃乱射事件の当事者となり、それを見事に発信してきたという事実を前にして、これが陰謀だ、扇動だと中傷することなど到底できないだろう。 はっきりしているのは、標準テストでは測れないような能力に重点を置く課外教育が、公民権運動に積極的な市民を生むということだ」
 日本の高校では、例えば討論は「現社」などの一部を割いて、教師の与えた論点を逸脱しない範囲で進められるが、アメリカの高校では、学年を通して行われ、取材なども自ら行う。
 僕は多摩地区の高校で、これに近い授業をしていた。しかしS高校に移って、当初はもっと面白くやれると期待していたのだが、生徒たちがクラブ活動に埋没して放課後を調査や討議に使えない事が分かり断念した。ながく取り組む生徒たちは殆ど2学期間、短くても2週間放課後を使わねばならなかった。時には土日曜を博物館や工場見学にあてるから、試合は出来なくなる。しかしそれだけの価値はあった筈だ。僕の痛恨事の一つである。僕は「部活」中毒が青年の自立を破壊していると思う。



 

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