何故「防空壕」と言わず「御文庫」と言ったのか

 皇居には、御文庫という建物があった。建坪1,320m。地上1階、地下2階の3層。だが、そこには名前に相応しい施設はない。あるのは天皇夫婦の寝室、居間、書斎、応接室、皇族休息所、食堂、洗面所、侍従室、女官室、風呂、便所、映写ホール、ピアノ、玉突き台がある。初めは1トン爆弾に耐えるようにつくられ、4年後には50トン爆弾にも耐えられる御文庫附属室までがつくられた。天皇の住居は「御所」と呼ばれ別にある。何故「防空壕」と言わず、実態を伴わない名称をつけたのだろうか。ヤクザが刑務所を別荘と呼ぶのと同じだろうか。
 金子文子の発言が、分かりやすい。


  ・・・天皇が神様か神様の子孫であったら、歴代の神様たる天皇の保護の下に存在する日本の民衆は、戦争の際にも兵隊が死なないはずでしょう。日本の飛行機も落ちないはずでしょう。また神様のお膝元で、昨年のような大地震のために何万という忠良な臣民が死ぬはずもありますまい。 
 ところが、戦争に行った日本の兵隊がよく死にます。飛行機もよく落ちます。お膝元に大地震が起こって、何万という人が惨死するのを、どうすることもできない天皇が、どうして神様だといえましょう。天皇が神様だなどということは、君権神授説の仮定にすぎません。すべての伝説は空虚な夢物語です。 
 天皇が全智全能の神の顕現であり、神の意志を行うところの天皇が、地上に実在しておりながら、天皇の赤子は、飢えに泣き、炭坑に窒息し、機械に挟まれて惨めに死んでゆくのはなぜでしょう。それは天皇が神でもなければ仏でもなく、結局天皇に人民を護る力がないからです。・・・ 金子文子 (1924.5.14 予審判事に求められて筆記)
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  「天皇が神でなく、人民を護る力がなく」死ぬのであれば、ただの「人」である。しかし天皇を「現人神」と位置づけてしまった以上、死を恐れて「防空壕」に入れるわけにはゆかない。だが戦闘や爆撃で死ねばただの「人」であることはばれてしまう。だから「御文庫」で研究することにしたのである。
 御文庫の着工は、1941年5月、竣工は翌年7月。つまり日米開戦の半年以上前に工事を始めている。天皇夫婦が、ここに寝泊まりするようになったのは、1943年1月からである。  2月には「餓島」海戦で大敗して「転戦」しても負けを認めず、「目的は達成した」と言い募っていた。
 しかし天皇は米軍機の爆撃を恐れて、さっさと避難していたのである。戦局は悪化する一方、無いのは石油ばかりではない。軍靴を縫う糸さえ不足して、底が外れる。皮さえ無いから鮫側で代用するから防水性は無い。背嚢も無くなる、飯盒さえ行き渡らない。水筒も無いから竹筒を自分で作る。兵隊が不足して、精神障害者までが動員される。
 それでも日本は『神国』だから必ずカミカゼが吹くと言って絶望の泥沼に国民を巻き込んだ。一旦「現人神」と言ってしまったからであり、それを嗤う者を特高は容赦しなかったからである。
 アジア太平洋戦争の死者のうち日本人は310万人、うち9割は1944年以降である。もし、「現人神」の虚像に翻弄されなければ、正しく実態を悟り、降伏出来たであろうと思う。280万人は死なずにすんだ筈だし、アジア諸国の日本軍の残虐行為も少しは減っただろう。沖縄戦も、二発の原爆は間に合わなかった。まるで原爆投下を待ち構えるかのように、勝ち目の無い「現人神」の戦争を止められなかったのである。

  それだけでは無い。さらに込み入ったこともあった。『五勺の酒』の旧制中学校から出征した教師が、思いがけず生還するという知らせがあって校長は、大歓迎の準備をした。だが「普通でない」知らせがやってきた。
 「僕は自分の早手まわしを、・・・ひどく後悔した。この梅本という教師が、健康ではあるが、鼻、耳、くちびるがほとんどなくなって帰ってきたことがわかったのだ。 
 ・・・。梅本が美丈夫なら細君はちょっとない美人なのだ。彼らはこの町で大きくなり、童男童女として恋愛し、童男処女として結婚に進んだのだ。・・・彼らは純粋で、肉体的にもそろって強く、互いの美しさを十二分に享受しつつまっすぐに子供を生んできたような人だ。 
 その梅本が、簡単にいえば、耳は耳たぶ二つともなし、鼻は突出部がなくなってじかに孔だけあり、くちびるは歯ぐきすれすれの線まで取れたという形で帰ってきた。 細君に頼まれて僕は細君よりひと足先きに梅本に会った。そして、結局家へ連れて行った。その後見ていると彼らは堪えている。彼らは、子供をふくめて、今後とも立派に堪えて行くようだ。しかしいかに困難があるだろう。考えて僕は目まいがする・・・ 梅本と話すのは、彼の家族以外は天下に僕ひとりだ。僕が困るのは、相手の目だけ見てでなければ話ができぬことだ。耳や口はまだいい、鼻の部分へ目をやるまいとするのほ僕としてひととおりならぬ努力が要る。・・・特に細君のほうを考えてその言いようのない惨酷に目の前が暗くなる思いをする。 
 ・・・そうして、死んだほうがよかったと考えるような人が日本でどれだけあるかと考えて心が落ちこみそうになることがある」 
  こんな数に出ぬ惨劇は、日本にどれだけあったか。日本が攻め込んだアジアでは、どれだけのどんな惨劇があったのか。731部隊の残虐行為は、人体実験のデーターを占領軍に渡して訴追さえされなかった。

 そういうことこんなことあんなことを、全て積み重ねての「天皇メッセージ」である。それがあって、敗戦後の行幸では、甲高い早口で「うちは焼けなかったの」「教科書はあるの」などと聞いたのである。聞かれた女学生は涙を流すばかりで、声にならない。その間に彼は、向かい側の女生徒に「うちは焼けなかったの」「教科書はあるの」と同じ問いを繰り返した。

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