「人民の記憶」としての、卒業式答辞

予定が破綻すれば式も長く記憶に残る。都立武蔵丘高
 だいぶ前、生徒を「生従」と誤記する高校生の話を聞いたことがある。大学生にもいたという。字の形が似ている故の間違いではなさそうだった。僕は、これはアバンギャルドではないかと思った。avant-gardeは、直訳して軍隊の「前衛」。奇抜ということではない。前衛は、未来を先取りしてみせる。前衛が壊滅すれば、本体に勝ち目はないのだ。
 少年少女が、子どもの権利条約に定義された子どもとしてではなく、学校などの組織に「従」属して身動きならない存在として現れるのではないか。そういう未来を警告しているのではないか。

 元々生徒の「徒」は、徒党」や「学徒」など、仲間と言う意味とともに、むだ・むなしい・役に立たない・労役といった意味がある。
   「言葉には、それぞれ、それが本当の言葉となるための不可欠の条件がある。それを充すものは、その条件に対応する経験である」と、森有正が言ったことがある。少年少女が学校で出会う経験、それが「生徒」という言葉の中身を形作ってきた。指示されたことを従順に守ることを徳として、反抗すれば叱られ殴られる者として「生徒」の概念は形成されてきた。

   僕が、「学徒」で思い浮かべるのは、学徒動員の暗く陰湿な光景である。学窓で日の暮れるのを惜しんで読書に耽り、黒板を囲んで代数や幾何や物理の世界に一心不乱になるいう光景ではない。そのためには別の言葉を見付けなければならない。student=学生である。
 我々が日常使う言葉は未来を先取りしたり、過去に現実を引きずり込む。

 中学生や高校生までもétudiant=学生と言い、国立行政学院や高等師範学校など国家エリート養成高等教育機関で学ぶ者を「生徒」と呼ぶフランスには、人民の記憶としての「革命」が深く根付いている。行政機関の官僚を、公僕=public servantと位置づける革命の記憶である。勘違いしてはいけない、公「僕」とは国家の従僕という意味ではない。民衆・人民の奉仕者=「僕」のことである。我々には「言葉が本当の言葉となるための経験」が徹底して欠けている。
 だから体育教員室を教
室といつまでも呼び、企業の面接担当者を面接官」と言ってしまうのである。大学教師やマスコミまでが学生を生徒と呼び、大学生自身が自らを生徒言ってしまうから、若者はデモ一つできないと言ってもよい。言葉がそれに相応しい身体と精神を形成するのだ。
 生徒とは、語源としては弟子から生まれた言葉である。弟子は親方の指示によってのみ動くのであり、何一つ決意出来ない。逆らえば、すなわち破門である。だから中高生の、校則には「指導拒否」による罰則が書かれている。
 森有正の指摘が裏返って、経験が言葉を本当の言葉にするのではなく、逆に言葉が現実を束縛している。天皇の存在や行動に対する過剰な「敬語」は、我々の日常を硬直させ、憲法的平等の意識をいつまでも確立できない。人間に、生まれながら尊い者とそうでない者があると言葉が強制している。それを拒否する経験を、学校の「式」は叩き潰すのである。
 
 戦争における「人民の記憶」は、戦中の経験が総括され戦争の終結とともに現れる。だが日本の戦中は、経験そのものが禁じられた。命じられた行動は犬や馬でもやれる、だから犬や馬に記憶はない。経験を禁じられた人々は、国家の記憶を国民の記憶に置き換えるしかない。

 学校に於ける少年の記憶=「人民の記憶」も日常の経験の総括の積み重ねによって形成され、卒業を契機に表現される。在学中に命じられる行動は少ない、にもかかわらず卒業生の答辞として現れる「人民の記憶」=少年の記憶は、命じられたかのように、型に填まっている。
  例を挙げよう。ある中学校の最近のものである。


  「春の暖かな日差しが体全体に感じられ、校庭の木々の芽もふくらむ季節となりました。本日このよき日、私たち××名は自らの手で夢をつかむため、この○○校を卒業します。私の心の中には数え切れない思い出が昨日のことのようによみがえってきます。
 3年前の春、真新しい制服に少し大人になれたような気がした入学式。不安な中で見たクラス分け発表では知らない人の名前がたくさんありましたが、3年後の今、こんなにもたくさんの人と友達になれたなんてとても幸せです。・・・  初めて友達と一緒に泊まったふれあい学習。多くの友達と交流しながらも、時間を守ることの大切さを教わりました。何もかもが始めてだった1年生の私たちを引っ張っていってくれた先輩。思い返せばとても大きな存在でした。・・・
 そして、今まで私たちを時には厳しく、そして優しくご指導くださいました先生方、本当にお世話になりました。今日までにかけていただいた数々の言葉は私たちの心の支えになりました。本当にありがとうございました。
 お父さん、お母さん。いつもは照れくさくて言えないのですが、この場を借りていいたいと思います。いつも困らせたり心配をかけたりしてごめんなさい。今日まで育ててくれて本当にありがとうございました。これからもまだまだお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします」

 虚構で彩られた行事で頑張ったことと、消費行為としての旅行の思い出づくりと、でっち上げの友情が並列されれば、軽い涙と感動が出来上がる。青春の主体性はない。

 計画可能なことは、それが成功するほどに経験からは遠くなる。体罰やいじめや差別が「少年の記憶」として総括され、下級生に受け継がれることはない。すべては卒業生総代たる学校公認のよい子によって水に流され、少年の記憶は生徒の記憶に、次いで生徒の記憶は学校の記憶にすり替わるのである。流された部分が経験であり人民の記憶である。それを欠いた記憶は忘れられ、一年もたたぬ間に忘れられてしまう。卒業生総代が、どちらを向いていたかさえ覚えていない。ほとんどは日の丸と校長に向かって読んでいるのである。記憶の改竄・すり替えの儀式である。

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