日清戦争に96万円投資して2000万円を得た天皇財閥

人民の記憶それが問題なんだよ
    終戦の詔勅に「敵は新に残虐なる爆弾を使用して、頻に無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所」という箇所がある。これを日本軍が占領支配していた地域の人民がどのように聞いたか。それを考えながら、詔勅を聞いた日本人はどれほどいたか、皆無かと僕は想像した。
 だが、鶴見俊輔は「残虐なる爆弾とは、よく言えたものだ」と怒りを隠していない。南京虐殺や重慶爆撃を、天皇が知らなかった訳がない。敵の行為の残虐性は言い募るが、自分の残虐性にはてんで気がつかない。そんな神経だから、「沖縄メッセージ」を占領軍に献上できるのだ。

 フランスやドイツでは、大戦中ナチスに協力した者たちへの強い怒りが、街頭であからさまに示された。それがニュールンベルグ裁判を支えたのだ。戦争に対する人民の記憶が燃えさかったのである。日本における戦争に対する人民の記憶は、日清日露の昔から常に勝利した国民の記憶、国家の記憶に覆い尽くされてきた。それが、八紘一宇や国体の概念を産み出しアジアの数千万人を、天皇の銃や爆撃機や生物兵器で「残虐」に殺戮したにもかかわらず、国民による戦犯法廷を開くことができなかった。

 日本最初の侵略戦争・日清戦争前後のあからさまな証言が、西園寺公望の日記にある。
 軍備増強には増税は不可欠。山県内閣は、国会に増税案を何度も上程した、がそのたびに否決。山県は、増税反対派議員の買収を考えた。議員歳費を五倍に引き上げ、更に有力議員には直接買収資金与えて、増税案を成立さた。驚くべきは、その買収資金が天皇から出たことだ。当時の額で98万円。当時1000円で都心に一軒家が買えた。今の額で100億円以上に相当する。

 この経緯が西園寺公望の日記に残されている。西園寺は「山県は、国会議員買収のため天皇から受け取った資金を、どうも一部自分の懐にいれているようだ」と書いている。

 増税で軍備増強したお陰で日清戦争に勝ち、清国からせしめた賠償金の特別会計は、1902年度末で総額3億6,451万円。うち二千万円を天皇が受け取った。98万円投資して、あっという間に20倍強に増やしている、開戦前(1893年)の国家予算が、8,458万円である。こんなに旨い投資噺はない。あらゆる戦争の原因はここにある。戦争で巨利を食む連中が権力を握ればこうなる。

 日清戦争の原因が分かりにくいと言うが、なるべく分からないように、朝鮮内部の農民戦争を口実に日清両国が介入したという筋書きを拵えたと言うべきである。

 賠償金特別会計支出の内訳は、日清戦争の戦費が7,896万円21.9%、軍拡費が2億2,606万円62.6%(陸軍5,680万円15.7%、海軍1億3,926万円38.6%、軍艦水雷艇補充基金3,000万円8.3%)、その他が15.5%(製鉄所創立費58万円0.2%、運輸通信費321万円0.9%、台湾経営費補足1,200万円3.3%、帝室御料編入2,000万円5.5%、災害準備基金1,000万円2.8%、教育基金1,000万円2.8%)であった。

 僕が中学で学んだ時の教科書には、賠償金で八幡製鉄所が作られたことだけが誇らしげに強調されていた。だがそれは賠償金の僅か58万円0.2%に過ぎない。軍拡に使った2億2,606万円は、軍を通して死の商人たる財閥へ流れたのである。

  台湾を植民地にし、その最大産業製糖業は三井が独占し台湾製糖を設立、天皇はその台湾製糖第二位の株主になる。台湾製糖の株の配当は10年後に12%、20年後には100%である。侵略戦争・植民地獲得がいかに儲かを如実に示している。これが日本における、戦争の記憶である。
 三井も軍部との関係は深い。台湾製糖の設立には陸軍の児玉源太郎が関わっている。日露戦争後は満州を獲得、満州は世界的な大豆の産地であった。そのほとんどを三井物産が独占、欧州向けにマーガリンを製造輸出、油粕は肥料として国内で販売し巨利を得る。しかし1920年代になると、三井の大豆取扱高は伸び悩む。「張作霖が大豆の買い付けに手を出し始めたので困った」との発言が三井物産支店長会議議事録が残っている。張作霖爆殺事件翌年、三井物産の大豆の取引高は跳ね上がった。 

 財閥は、第一次世界大戦でも膨大な利益をあげた。日本の武器輸出総額は、2億9000万円。銃が93660梃。野砲弾丸410万発。駆逐艦12隻。戦艦2隻。まさに死の商人になった。 大戦中の対ヨーロッパ投資総額、約7億7000万円に膨らむ。
  第一次大戦開始時の三井物産資本金は3.96万円、大戦終結時には36.46万円。こんなに旨い噺はない。ほかの財閥も座視したはずはない。


 「三菱財閥がかつて東条大将に一千万円を寄付したということが新聞に出ている」渡辺清「敗戦日記」1945.11.10

 戦艦武蔵も大和も三菱製だし、零戦の開発も三菱である。 「軍財抱き合い」と言う言葉があった。財界と軍部の協力体制を示す、傑作な言葉である。 
 こうして天皇家は、三井・三菱・住友・安田を凌ぐ大財閥となった。
  天皇家の銀行関係株
 日本銀行(20万8000株)
 横浜正金銀行(20万9318株)
発行株数の22%第二位の株主は2万2000株。皇室がなぜこの銀行の圧倒的筆頭株主となったのか。想像はたやすい。 
 日本興業銀行(4万5450株)
 台湾銀行(3万264株)
 東洋拓殖会社(5万株)
 帝国銀行(2万9110株)

その他諸会社株
 王子製紙会社(6万608株)
 関東電業会社(3万4749株)
 南満州鉄道会社(8万43175株)
 台湾製糖会社(3万9600株)

皇室所有の土地
 森林(318万3287エーカー)
 宮城および御所(2256エーカー)
 農地(9万7637エーカー)
 建物敷地(559エーカー)
 その他(3万502エーカー)


 戦時の皇室財産総額は、総司令部発表で約16億円(美術品、宝石類を含まない)、1946年3月の財産税納付時の財産調査によれば約37億円と評価された。いずれも海外に分散された資産は考慮されていない。
 
 ここには、人民の記憶がない。資本の記録と国家の記憶があるだけ。英国にはナチスとの戦いの強烈な記憶があった。国家と国民の記憶ではない。人民の記憶である。米英資本家がナチスドイツと組み、工場や商人たちが軍高官とと結託して物資の横流しで儲けたことを、記憶し続けた。それが、ビバレッジ報告を産み労働党内閣に受け継がれ「揺りかごから墓場まで」の福祉社会を短期間で実現させたのである。

  我が国では、戦争に対する人民の記憶が掘り起こされ定着する前に、朝鮮戦争が始まり「儲かる」戦争は資本と国家の記憶として、またも人民の記憶を覆い尽くしている。

 沖縄だけが、人民の記憶を保ち続けている。

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