言葉が本当の言葉となるには不可欠の条件がある。それは経験である

森有正はオルガンの名手としても知られていた
   以下はパリに在住しバリに客死した哲学者森有正の1966年の論考である。彼が『世界』長期連載の「パリ便り」は、高校生の時から欠かさず読んだ。この論考は未だに新しい。些か長い。

   「・・・フランスの教育で要点となっているところは、知識の組織的集積と発想機構の整備の二つにしぼることができると思う。知識の集積というと、言うまでもなく記憶が主要な役割を果たす。そしてそれは実に徹底している。たとえば中等教育の歴史科をとってみると、先史時代から現代まで、第六学級から卒業までの七年間に実に膨大な量を注入する。教科書の量から言うと大版の
にギッシリつまった本文二千頁を優にこす分量を生徒は憶えなければならない。ただその知識が、内容を省略せずに、各時代の主要問題、政治、外交、経済、社会、文化を中心に、いわゆる合理的に整理配列され、しかも非常に頻繁なコントロールや宿題、さらに作文によって生徒自身の表現能力との関連において記憶されるようになっている。これは他のすべての課目においても同様で、数学や自然科学にまで作文が課される。こうして実に膨大な量の知識が組織的に蓄積される。日本の中高校の教科書と比べて見ると量だけでもまさに一対五くらいである。ことにその記憶そのものが合理的に統制され、たえずコントロールされている有様を見ると、記憶が単に受動的な機能ではなく、発想機構と密接に結びついた積極的機能であることが前提とされているのがわかる。
 発想機構の整備はフランス語の授業で集約的に代表される。これは小学校入学から中等教育の終了、すなわちバカロレアの試験まで、全教科の中心的位置に置かれて組織的に遂行される。・・・
 
 学年が進むと文法的分析に論理的文体静的分析が加わる。そして作文は、いつも、全体を総括的にコントロールするものとして、中心的位置をしめている。英語、独詩、イタリア語、スペイン語等の外国語、それからことにラテン語、ギリシア語等の古典語が、フランス語との緊密な関連の下に教授され、ラテン語、ギリシア語、フランス語はたいていの場合、同じ教師が教えている。僕はそういう教師を何人か知っているが、かれらの自国語に対する熱意とその知識には頭が下るばかりである。高学年になると、フランス文学史の著名な作家の研究がはじまるが、その方法は、一貫して同じで、徹底的分析と作文による綜合が訓練される。
 歴史、地理、公民科なども、作文が最後のしめくくりになるので、同時にフランス語の教科としての役割をも果たしているのである。そうして文科系では最高学年に哲学が課され、思考の訓練が行なわれる。自己の思索を実践発表する発想機構は最後まで開発習練を受ける。
・・・
 つめ込み主義は誤りである。しかし自分が本当に思索しうるためには膨大な、正しく吸収された知識(ということは、何時でも正確に言葉や文章にして発表しうる知識)を持つことが必要であることは同様に明らかである。・・・
 フランス人がよく使う表現を用いて言うと、自分の中のパッシフな面とアクティフとの均衡の問題である。たくさんのことを覚えても、記憶しても、それが自分の中にそのまま停止しているのがパッシフであり、それを自由に使いこなして表現することができるようになった時、パッシフがアクティフに移ったという・・・
 しかし問題は・・・自分の経験と表現との間にも、やや意味はちがうが、同じような問題が現われてくる。これは経験と表現と双方に欠陥がある場合が多いが、パッシフとアクティフとの間に不均衡が生じ、書けなくなったり、逆におしゃべりになったりする。書けなくなるのはまだ始末がよいが、おしゃべりになったのはまことに手がつけられないものである。
 ・・・要は、正当な経験の場に踏み込むことである。それ以外には、どこにも道がない。ほかの道が一切ないのならば、そこに踏み込むより仕方がないであろう。それでなければすべては単なるおしゃべりになってしまうのである。それならは、その道はどこにあるのか。本当は各人が皆自分の道を知っているのである。知りすぎるくらいに知っているのである。ただ実行しないのである。
 正しい、そして深い経験から出て来る言葉は、形容するのがむつかしい一種の重みをもっている。それは、あるものを表現することばの本当の説明は事柄そのものの中に在るからである。こういう表現の正しい使用は決して容易ではないし、また即席に生れてくるものでもない。ものについてしか思索しない、というアランの信条はこのことを言っているのだとしか思えない。
 言葉には、それぞれ、それが本当の言葉となるための不可欠の条件がある。それを充すものは、その条件に対応する経験である。ただ現実にはこの条件を最小限度にも充していない言葉の使用が横行するのである。経験とは、ある点から見れば、ものと自己との間に起る障害意識と抵抗との歴史である。そこから出て来ない言葉は安易であり、またある意味でわかりやすい。社会の福祉を論ずるにしても、平和を論ずるにしても、その根底となる経験がどれだけ苦渋に充ちたものでなければならないかに想到するならば、またどれだけの自己放棄を要請しているかに思いを致すならば、世上に横行する名論卓説は、実際は、分析でも論議でもなく、筆者の甘い気分と世渡りと虚栄心とに過ぎないのである。

 ・・・ 日本から来る雑誌類を見ていると上に述べてきたおしゃべり、観念の遊戯と体験礼讃との両極の間を右往左往している観がある。・・・現代の文学にいたってはほとんどまったく論外であると言ってよい。あの彪大な戦争と戦時とを扱った文学のどこに戦争の経験があるか。ことごとく、いや全部とは言わない、ほとんどことごとくが体験を多かれ少かれ加工したものではないか。
 ところで永井荷風の戦時の日記は、著者は意識しないにせよ、経験に裏づけられた戦時文学である。なぜかというと、戦争が、かれの全経験の中で巨大な障害として存在し、その障害の前を逃げまわりながら、抵抗し、経験の中でこれを克服して行く姿がはっきりと感得されて行くからである。そこに著者の人間である自我が、その障害を、それと少しも妥協せずに、そこから何か体験をとり出して一芝居うとうというようなさもしい料見なしに、堂々と敵視し、克服して行くのである。
 ところが多くの戦争文学では、「戦争という異常なことがあったので、おれは異常な体験をえて、こういう本を書くことが出来た。戦争よ、あってくれてありがとう」と、無意識的に絶叫している著者の姿が見えすいているのがほとんどすべてである。・・・戦争を人間に対する悪であり、障害である、と公言している連中が、体験の切実さに、読者と共に参ってしまって、悪や障害から結局何かを吸いとり、体験が増大したのを(体験はどんなアホウの中でも機械的に増大する)自己の経験が深まったのととりちがえているのである。中には戦争のおかげで平和主義者になれたような人まである。僕はそういう体験主義は一切信用しないのである。パスカルが、「人間は考える葦である」と言った時、そういう体験主義を根本的に否定しているのである。 

 経験は唯一つしかない。だからそこに個人というものが確認される。あるいはむしろ、経験の全体が一人の人、その一つの生涯を定義するのである。また自由ということばも経験の深まりということによって定義されるのである。僕はこれをほかにして、人間も、自我も、個人も、自由も、それを定義するものは何もないと思っている
」      森有正『霧の朝』「展望」1966.2
 
   日本の教師は、ヨーロッパはおろか世界のどこに比べても忙しい。だが授業で忙しいのではない。授業保ち時数は、諸外国に比べても少ない。生徒管理と行事に文書作りに忙殺され、まるで教師は学校の雑務屋で、授業は余技かと見え教育の専門家ではないかのようだ。行事は学校生活にメリハリをもたらすと言うことがある。それは授業そのものにメリハリが無いことを白状しているし、教師自身が雑務から一時でも解放されたがっていることの証でもある。生活指導のベテラン、修学旅行のベテラン、体育祭や文化祭のベテランなどはあつても、授業のベテランではないのだ。
 それに正しく対応して良き生徒とは、各種行事の良き受益者ではあっても、良き学習者=主権者としては現れてこない。成績抜群であっても、素行が悪ければ評価は下げられる。生徒も教師も、授業の主体ではない。そのような教師を作り上げたこの国の政府は、若者が知的に成熟し自立するのを恐れているとしか思えない。世間が若者のメダル稼ぎに我を忘れている間は、安心なのだ。しかし何時までも続きはしない。
 
追記 森有正は同じ論考の中で「勉強している若い人々と接し、話を交してみると・・・おどろくほど社会の機構に対する無批判的な随順がある。社会をあたかも自然のように、自分を超えるものとして、その中に受動的に自分の位置を見つけ、平衡を見出そうとする。そしてそこに満足して、私生活の充実に向う」と書いている。
 社会科をそのための教科にするため、政府は財界と「社会科」への介入攻撃を戦後一貫して続け、今や「社会科」は死んだも同然である。新教科「公民」売り物のアクティブラーニングは、森有正言うところのおしゃべりに過ぎない。社会的経験を政府も教師も禁じているからである。その上、教師自身が働く者としての経験不当に封じられて、抵抗さえ出来ない有様だ。
 そればかりか、全国的に見ればたいして系統的に教えていたわけではない。にもかかわらず、世間は「詰め込み」の弊害を説いた。お陰で社会科も理科も総単位数はもちろん、個別科目の単位も減り続けたのである。

 森有正が「僕は・・・教師を何人か知っているが、かれらの・・・熱意とその知識には頭が下るばかりである」と言ったのとは逆の光景が、教員間に広がったのである。歴史的知識に欠けた政経教師、地理的教養を持たない歴史教師、倫理しかやれないと言い張る教師は、大学紛争後徐々に増えた。同時に社会的経験を持たない教師も激増した。
 「正当な経験がどこにあるか、本当は教師も若者も知っているのである。知りすぎるくらいに知っているのである。ただ実行しないのである」1966年にはそう言えた。しかし今、若者も教師も本当に知らないのである。

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