ワシントンは三選より、私人としての生涯を選んだ

鶴見俊輔にとって抵抗も私的行為であった
 「戦前、米国で学生だった頃、私には、ワシントンがなぜ重んじられるのかわからなかった。軍人としても、政治家としても、それほどすぐれた人ではない。しかし、六十余年後の私には、ワシントンの値うちがわかる。彼は、三選が可能だったとき、家庭に戻って私人としての生涯を選んだ。
 ひるがえって日本の現在を見ると、「国連常任理事国になりたい」。常任理事国になって何をするのか、この十年あまり問題にされていない。「大臣になりたい」、「議員になりたい」。なってなにをするのかは二の次である。 ・・・この150年に、日本は崩れた
」                        鶴見俊輔「時の音」 2005年5月17日

  ある年生徒が、逃げ回る校長を捕まえて
 「なぜ授業をしないの」と問うた。彼女は、校長は平教師より優れた教育者であると漠然と思っていた。それを、授業で確認しようとしたのだ。校長はこう答えた。
 「わしは、校長だ。教育委員会から校長の授業は禁じられている。校長には昔からなりたかった」
 面と向かって、こういう質問をするのは、いつも女子である。忖度をする必要が男子に比べて格段に少ないからである。
 彼女はがっかりするとともに「なんて詰まらない奴」と呟いたと言う。
校長になって何をしたいのかが、まるでない。校長であると言う事実だけで、尊敬されると信じて疑わない神経を生徒は悲しんだのである。
 
 だが例外はある。M校長は、数学教育のベテランで民間教育団体にも属していた。彼は、行政の末端であることを拒否して、時間割を組む係と揉めてまで、授業を持った。臨時にではない。一年間、複数のクラスを教えたのである。
 都立高校の校長は退職後、私立高校の校長に天下りをする悪い慣行がある。M先生はそれも嫌がって、女子校のただの講師になった。授業をするためである。

  ヨーロッパでは、閣僚や国会議員を務めた政治家が、小さな村の村長や村議会議員になることがよくある。国と自治体が対等な関係にあるからだ。
 一度頂点に上り詰めると、降りられなくなる。私人としての自分を想像するのが怖い。肩書きのない自分が怖いのは、そもそも自分がないからである。
 天皇が引退したら、上皇と呼ぶという。
大学をやめれば名誉教授、社長を退職すれば会長、会長の次は顧問きりがない。なぜ肩書きを廃した名前だけの「ひと」であってはいけないのか。
 国や社会のTOPが、平凡な国民の穏やかな生活に憧れ手入ればこそ、平和や平等を政策課題と掲げ邁進出来る。
 少ない支持率で多選を目指し、専用機による外遊や友人との料亭豪遊やゴルフにうつつをぬかせば、政策目標が格差拡大と大衆課税の独裁に落ち着くのは必然である。
 

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