人生で最も苦しいことは、夢から醒めて、行くべき道がないこと

必要なのは夢であるが、それは現在の夢=革命
 金メダル獲得者や大会優勝者には、次から次に栄誉と賞金や契約金が津波のように押し寄せる。夢が叶った只一人めがけて、あらゆる賞賛がメディアとともに追いかける。だがこの狂乱が大きければ大きいほど、対極に累積する夢破れた敗者の群れは夥しくなる。そして忘れ去られるが、悲惨はなくならない。「アイドル」もその頂点と底辺は、天国と地獄の差がある。大衆がキャーキャーと喚くたびに、頂点だけが高見に持ち上げられ、底辺との格差は絶望的に広がる。その広がる格差の大きさが、更に若者の夢を煽る。学校歴による待遇の格差も、青少年の「夢」を担って巨大産業となったが、虚しく破れた者の日々は底を割った惨状だ。人々の生活が底を割るというのに、すさまじい勢いで「内部留保」は増えて止まないのである。

  「人生で最も苦しいことは、夢から醒めて、行くべき道がないことであります。夢を見ている人は幸福です。もし行くべき道が見つからなかったならば、その人を呼び醒まさないでやることが大切です。唐朝の詩人の李賀、彼は一生を苦しみ通したにもかかわらず、死ぬとき、母親に向かって、「おかあさん、上帝が、白玉楼ができあがったので、祝賀の文章を書かせるために、私を呼んでおります」と、こういったというではありませんか。これはあきらかに、夢であり、たわごとではないでしょうか。しかもなお、ひとりの子とひとりの親、ひとりの死ぬものとひとりの生きるもの、死ぬものは楽しげに死んでゆき、生きるものは安心して生きてゆく。夢やたわごとは、このような場合には、偉大さを発揮するのです。それで、私は思うのですが、もし道が見つからない場合には、私たちに必要なものは、むしろ夢なのであります。
 しかしながら、決して将来の夢を見てはなりません。アルツィバーシェフ(Mikhail Artsybashev)は、自分の書いた小説を借りて、こういう質問を発したことがあります。将来の黄金世界を夢想する理想家は、その世界を作るためには、まず多くの人を呼び醒まして、苦痛を与えなければならない。そこで「諸君は、黄金世界をかれらの子孫に予約した。だが、彼ら自身に与えるものがあるか」と彼はいっております。それは、あるにはあります。将来の希望がそれです。しかし、それにしては、代償があまりにも高すぎます。その希望のためには、人々の感覚をとぎすまさせ、より深く自分の苦痛を感じるようにさせなければならないし、霊魂を呼び醒まして、自分自身の腐れ爛れた屍体を直視するようにさせなければなりません。ただ、夢とたわごとだけが、このような場合に偉大さを発揮するのです。ですから、私は考えます。もし道が見つからない場合には、私たちに必要なのは夢であるが、それは将来の夢ではなくて、現在の夢なのであります。・・・  
 人間は忘れっぽいものです。そのために、自分がこれまで受けた苦痛から次第に離れてゆくこともできるが、その忘れっぽさのために、前人のあやまちを再びおなじように繰りかえすことも珍しくありません。いじめられた嫁が姑になると、やっぱり嫁をいじめたり、学生ぎらいの官吏が、往々にして以前には官吏を痛罵した学生であったり、また、現在、子女を圧迫しているものが、十年前の家庭革命者であったりいたします。これは年齢や地位とも関係することでありましょうが、記憶のよくないということも、大きな原因のひとつであります。その救済法としては、各人が一冊のノオトブックを買ってきて、自分の現在の思想と行動を全部記憶しておき、将来、年齢も地位も変ったときの参考とすることです。たとえば、子供が公園へ行きたがってうるさいと思ったときには、それを取り出して開いてみる。そうすると、「私は中央公園へ行きたい」と書いた箇所がある。そこで、たちまち気持ちがやわらいできましょう。ほかのことでも同様です
」 魯迅 1923年北京女子高等師範学校文芸会での講演「ノラは家出してからどうなったか」
   
  「必要なのは夢であるが、それは将来の夢ではなくて、現在の夢なのであります」と魯迅はこの中で書いている。早々と実行したのは秋瑾である。
 

 彼女は、裕福な家庭を離れ単身日本に留学。 孫文率いる中国同盟会浙江省責任者となる。1905年清国留学生取締に反発、同盟休校の先頭に立ち、反対する学生に死を宣告する激しさを見せた。帰国後、大通学堂を紹興に開設し革命青年に軍事訓練を施し光復軍を結成、武装蜂起を準備した。しかし武装蜂起は失敗、逮捕される。
  2日後の1907年7月15日早朝、紹興繁華街で斬首された。31歳であった。取り調べに際し、「革命党員は死を恐れない。殺したければ殺せ」と叫び、目を閉じ、歯を食いしばって一言も吐かなかった。判決後、足に鎖枷を腕は背後で縛り上げられ刑場に向う秋瑾は疲労でよろめいたが、支えようとする護送兵を「自分で歩く! 手出し無用」と一喝したと伝えられている。
 「秋風秋雨、人を愁殺す」の遺句とともに、彼女の処刑は人々に強い影響を与え、4年後の1911年革命は成就する。辛亥革命である。

 秋瑾が求めたのは、将来の夢=個人の栄光ではなく、現在の革命。革命による平等である。清朝にとって平等こそが危険思想であった。平等は、人々を栄誉獲得に駆り立てない。その代わりに特権をたたき壊すのである。
 我々の生活が底を割るのは、「内部留保」だけが増えて止まない不正があるからだと気が付かねばならぬ。その不正を告発するのが革命である。夢が破れた無数の敗者が直面する「腐れ爛れた」長く続く生活。「腐れ爛れた」生活とは、例えば日大アメフト部部長やコーチ、理事長。体操協会を牛耳るかっての栄光に輝いたメダリストのパワハラの日々も指す。アイドルの夢に早々と破れた少年少女を襲うセクハラ地獄もある。夢を見ていたのは僅か十年足らず、夢から覚めて行くべき道の消えた「腐れ爛れた」生活は、その後の50年以上を覆い尽くすのである。

  メダルや大会入賞と無関係に、健康と交流を楽しむスポーツ。地位や待遇を求めず、学ぶ喜びや驚きに徹する学問。賞賛と収入ではなく、表現の自由を謳歌する芸術。そうした生活が、現在の夢でなければならない。
 かつては生まれや身分が、地位と収入と権力の根源であった。今なおその影は陰湿に残ってはいるが、かなり冷めている。しかし一度手にした特権をなかなか手放そうとはしない。それを一掃しない限り、
人々は将来の夢に魅入られて、現在の夢に気づくことを恐れる。それが危険思想だという観念と事実は、「血筋」に執着する心情の中に抜きがたく残っているからだ。

 追記 秋瑾が処刑された紹興は、彼女の生誕地でもあり、魯迅の生まれ育った街で、『孔乙已』『阿Q正伝』多くの作品がこの水郷を舞台にしている。周恩来ゆかりの地でもある。王羲之ゆかりの蘭亭もある。秋瑾が処刑された跡には、彼女の像が建てられている。

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