誇れないことを自ら誇る醜さ |
マスメディアや政府が「ニッポン金メダル○個」だの「日本人連続ノーベル賞」と驚喜する、見苦しい光景である。賞賛さるべきは当の個人であり、賞賛する側も個人でなければならない。なぜなら、あらゆる賞には国家的企みが隠されていて、その企みに振り回されるのは全体主義を誘発して危険かつ愚かだからである。集団で浮かれたあげく誇大に自賛して、他国と自国の優劣の比較に用いるのは筋が違う。個人の手柄に集団が乗り移るのは、素朴な手前味噌を越えて国家主義の響きがある。オリンピックのメダル数もノーベル賞受賞数も、人口あたりに換算すれば、騒ぐほどの数ではない。
生産力の分析もなしに、軍艦の数を誇り、不遜な思い込みを高じさせて日中戦争から太平洋戦争に踏み込んだ苦い経験を忘れている。
ブランド品という特権的名称は、その商品生産者が自ら付与するものなのか。販売と消費の長い実績があって自然に湧き出す品質への評価が「ブランド」と呼ばれ定着するのではないか。広告代理店を使った販売戦略や、タレントによる宣伝でなんとかなる筋合いではない。金さえ出せば、他人任せで済む安易なものではない。長い歳月と汗が染みこんて初めて獲得できるはずのものだった。
だが金と権力で希な成果を挙げた例が、注目され産業化されるようになる。1970年代の新設都立高校の中には、じもとの中学関係者や塾と結託して初めから偏差値の高い生徒を集めることに成功した例が複数存在している。教育委員会が入試制度を弄んで、中高校生や教員を翻弄したことも度々ある。
ユーゴスラビアにおける戦争広告代理店の爛れた「成功」は、評価の光景を一変させた。アイドルは、広告代理店によって「プロデュース」されるものとなった。地道に努力した者の多くは振り向きもされない。金と権力による破廉恥な恫喝が詐欺師や窃盗犯を真面目な努力者のように見せる。しかも押しつけがましさを感じさせないような巧妙さがある。極悪人を正義の味方や「圧政の善良な犠牲者」に仕立てるのはお手のもの。しかし偽造には違いない。
「いい授業」を構想することは、「いい人間」を定義するのと同じ危険を伴う。近くは「管理主義教育」で遠くは天皇制教育やヒトラー青年団による洗脳で散々懲りた筈ではないのか。
「いい・・・」は「良くない・・・」の排除から始まる。授業に力を入れるのではなく、成績が悪く教室の秩序を乱す生徒を先ず排除するのである。マッカーシーの非米活動委員会がいい例だ。手っ取り早いく分かりやすいからだ。「良くない・・・」の排除は、次第に同調しない者への非難・攻撃を含むようになる。遂には集団の最も優れた知性を追放して、大きな損害をもたらす。
人の生涯や、時代の趨勢を左右しかねない問題が、拙速では取り返しがつかない。判断を誤った場合、頼りになるのは反対派=「良くない」連中である。彼らを排除してはならない。「手っ取り早い」判断が重宝され始めたのは、株式市場が短期的利益を求めて博打化するようになってからである。
偶に「良くない・・・」の中から「いい・・・」が発見されても、「いい」が多様になることはない。「良くない」部分を徹底的に取り去ることが「いい」ものになる条件だからだ。「いい」の定義は、「いい」と「良くない」の両極がが際立つて来る。「良くない」少年たちは凝縮されて、底辺校が自然現象のように形成される。
効率や生産性の観点から「何の取り柄もない、危険」な存在と見做された者たちが濃縮される。これは隔離である。
様々な哲学や思想・教育方法を持った教師が、民主的自治集団を形成する。それが学校と教師が、社会全体を代表して少年たちの教育を条件である。そこに現れるのは、特定のmethodに基づく「いい授業」ではない。平凡で多様な授業である。
追記 はじめ東大卒業生に特権はなかった。←クリック だから慶應義塾、東京商業学校など実学的教育を施す学校に学生が集まった。国会開設に備え人材を育成する東京専門学校も、伊藤博文内閣を悩ませた。
伊藤は、手っ取り早く東大に特権を与え他校を出し抜くことにした。工部省工部大学校、司法省法学校を東京大学に吸収して東京帝国大学と改称。法学部を卒業すれば、高等試験を受けずに高級官吏になり、医学部を卒業すれば無試験で医者になり、教員免状も無試験。この大学を卒業しさえすれば、進路はひらけ、俸給も飛び抜けて高くなるよう仕組んだ。この特権を恥じることもなく大学「紛争」を収束させた東大「確認書」を僕は全く評価しない。
三菱などの財閥も、官営工場の破格の好条件による払い下げなど、特権に塗れて成立している。日本の近代化を振り返ると、我々は特権を非難する振りをしながら、実はお上によるブランドに依存・期待しているのである。天皇制がなくならないわけだ。
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