沖縄独立と「天皇メッセージ」国家賠償

ここは幸福指数世界4位、日本は58位
 ニューへプリデス諸島は、英仏二カ国の共同統治であった。
 「共同植民地」ニューへブリデスへ入るには、査証が必要だった。イギリス大使館でもフランス大使館でも、どちらでもとれた。空港には二カ国の旗がひるがえり、入国管理の事務所に入れば、右側が「フランス」、左側が「イギリス」、「第三国人」はどっちへ行ってもよい。公用語も二つ、貨幣も二つ、税務署も二つ、フランス人ならフランスの税務署に税金を納めなければならないし、イギリス人ならイギリスの税務署だが、第三国人はどちらか任意の政府のほうに納めた。
 日本人など「第三国人」が犯罪をおかせば、例えばフランス人警官にむかって、イギリスに捕まりたいと言うことも出来た。裁判所も二つあった。犯罪が殺人ならイギリスの裁判所選ぶだろう。イギリスには当時既に死刑はなかったが、フランスにはこの当時ギロチンによる死刑があった。軍隊もあって、儀式用の十人程度の軍隊であったが、英仏同数であった。 小田実の『地図をつくる旅』には、この珍妙な統治について、世界をくまなく見て歩いた男らしい面白い記述がある。
 深刻な問題も見逃してはいない。小田実は生粋のニューへプリデス人と話してそれを発見した。
 
 その男はイギリス人、フランス人、「第三国人」とちがって黒い肌をもち、髪の毛はちぢれていた。
 「つまり、フランス人の面倒は、ここのフランス政府がみてくれるわけですね」
 「その通りですよ」
 「イギリス人の面倒はイギリス人がみる」

 「その通り」
 「ポクのような『第三国人』の面倒は、どちらかがみてくれる」
 「その通り」
 「じゃあ、あなたのような……」
 と言いかけて、私は口ごもった。どんなふうに彼のことを言いあらわせばよいのか判らなかったのである。それで、仕方なしに、「現地人」という聞きようによってはまったく人を―その地に生まれ、生きている人間をバカにしたことばを使った。
 「現地人の面倒は、どっちの政府がみてくれるんです」
 「Nobody」彼は吐きすてるように言った。
                              1981年 小田実『地図をつくる旅』

  それ故ニューへプリデスは、1980年バヌアツとして独立したのである。

 沖縄県民投票の結果は明白であった。自民党支持者でさえ辺野古基地反対が多数を占め、18歳19歳の基地反対票率は突出したのだから。天皇在位30周年記念行事に合わせるように県民の意思は突きつけられたのである。
 この期に及んでも、日本政府も米国政府も沖縄県民の面倒を見ようとはしないのならば、沖縄はニューへプリデスのように毅然と独立すす以外に選択肢はない。

 かつて沖縄は薩摩、清両国に朝貢する独立国であった。

ニューへプリデスにやや類似した統治の仕組みを持って繁栄していた。
 
 日系カナダ人女流作家、Joy Nozomi Kogawaが2009年「ナガサキの日」に、ストックホルムで行ったスピーチ(
原文は英語)がある。←click

 「東洋に、ある小さな島(沖縄)があります。そこでは、世界で最も長寿で、強く平和な人々が住んでいます。わたしの兄弟は、キリスト教長老派の司祭として、1990年代の数年間を沖縄で過ごしました。彼は私にこんなことを教えてくれました。1815年のこと、大英帝国の軍艦のバジル・ホール艦長が沖縄の那覇に寄港しました。そしてそこで発見した、あることに驚いたのです。話はさらに続きます。英国への帰還の途中、ホール艦長はセント・ヘレナ島に立ち寄り、流刑中のナポレオンと会話を交わしたのです。
 
 艦長は『私は平和の島に行って来たところです』と、ナポレオンに告げました。『その島には一人の兵士もおらず、ひとつの武器もないのです』 
 ナポレンオンは言いました。『武器がないだって? そんな。でも、剣の二振りや三振りはあるだろうに』 
 いえ、ありません。剣は王によって禁じられているのです」 
 その時、『ナポレオンは驚いて』こう言ったそうです。「兵士もいなければ、武器も、剣もない。そこはきっと、天国に違いない。
 
 この戦乱の続く地球という星の、ほんのひとかけらの地上で、ユニークな平和の文化が育っていたのです。 ・・・琉球の人々は従属しない人々(まつろわぬ民)だと、日本は結論づけました。兵士なき王国の存続は不可能なことでした。沖縄はたしかに、その平和の歴史とともに、この地球がようやく持つことのできる天国に近い文化を持ち続けて来たのです。たぶん、それゆえ、憎悪の軍事力の特別なターゲットにされて来たのです」
 Joy Nozomi Kogawaは1935年バンクーバー生まれ。大戦中、日系人強制収容所に収容された。

 両国朝貢の素手の小国が、平和を保つことが出来た。その持つ深く重い意味を我々は読み取ることが出来るだろうか。

 沖縄を永続的軍事基地として占領軍に献上した昭和天皇と青松白砂の沖縄を焦土にして県民
15万を犠牲にした日本軍の、そしてその後の日米両政府の統治弾圧の責任は益々限りなく重いのである。制度的責任は息子天皇が善良に被災地を回って相殺される程度の軽い問題ではない。
 沖縄は独立して、「天皇メッセージ」の歴史的責任を徹底的に追及して、損害賠償を求めるべきだと思う。僕はそれを支持する。


 せっかくだ、竹島や尖閣諸島も共同統治にしたら良い。いがみ合うだけの知恵の無さには呆れるばかりだ。共同統治の例は少なくない。樺太も初めは共同統治だった。北方領土は日露ともに手を引き、北方諸民族の自治領域にすべきである。



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