「和解する教室」Ⅰ~Ⅳで書いたような行動を、部活が売りのS高生たちはやってのけるだろうか。S高は偏差値も入試競争率も進学率も「1-6」のH高より余程高い。しかし、1-6のような自治を実現することは金輪際出来ない。なぜならS高では入学してから卒業するまで、クラス自治の経験を持てないからだ。素直な生徒たちは部活に全関心を預け、教室はまるで3時からの部活の分断された「待合室」となる。待合室に暴動はあり得るが、決して政治化しない。
「現社」で放課後を使ってのグループ毎の調査や見学などは出来ない、部活は絶対だからだ。土日に博物館や地域を巡ることも不可能、練習試合でそんな時間は1分たりとも無いのだ。
「現社」教員としての僕は、手足をもがれた気がして滅入った。黒板の前だけが「教室」だった。生きた世界からは隔離されていた。
学級内集団も、クラブ毎にしか形成されない。したがって学級共同の要求としての自治や授業が自覚されることはない、まして要求にまで高められることはない。S高生ひとり一人の社会的意識は決して低くないが、それが集団化することはなかった。なんとかしたい、自分たちの手で集団をよくしたいという熱気の前提、クラスに対する愛着が育たないのだ。
これは支配する側にとって願ってもないことだ。たとえ卒業後、職場や地域に深刻な問題が起きても、部活で培った社会的無関心は容易には回復しない。
日本の高校生の政治化は、「部活」がダムとなって堰き止めている。卒業後、ダムとしての「部活」の機能に気付きそれを突き破ることに成功した者は、逞しい社会性を持つようになる。だが気付くのに、短くとも数年を要する。戦時下の少国民が、軍国主義的悪夢から覚醒するまでよりはるかに長い。社会変革の主体として若者が再び登場するのは、日本の青少年が部活の幻から覚めるときである。
失敗に向き合った(「和解する教室」)の高校生に比べると、F先生(「心を病んだ先生」)は自分の失敗を認めない強情さに満ちていた。
F先生に対する生徒たちの暴発は、卒業文集に現れた。全ての生徒から「死ね、死んでください」と書かれてしまう。この時までF先生は、生徒の不満に気付かなかったのだろうか。生徒たちは、担任に不満や要求を押さえつけられて何も言えなかったのだろうか、3年間も。卒業文集の原稿を担任が目にしてから卒業式まで、2・3ヶ月はある。同僚たちは何を見ていたのだろうか。どうして、再び担任になりたいとのF先生の希望を受け容れたのだろうか。
破綻を認めない頑迷さが二発の原爆に繋がった |
F先生二度目の担任では、生徒との接触は入学前の3月末から始まり、昼休みも一緒に弁当を広げ、学級通信は一日二回になる。これが生徒にとってどんなに暴力的なことなのか、気付くことはなかった。取り組みに効果が見られない時、彼の脳裏に去来したのは、未だ足りないもっと強くだけである。弱音は言えず、方向転換することが出来ない。巨艦巨砲主義から脱却出来なかった海軍と変わらない。
致命的なのは、生徒側に話し合いが生まれなかったこと、学級に対する愛着の欠けらもなかったからだ。
自己認識から逃げたくなるほど、学校や学級に対して冷めてしまった生徒たち。その集団を規律の強化・徹底で乗り切ろうとする教師たち。F先生が精神に異常を来しても気付かなかった同僚たち、異常に気付いても狼狽えるだけの管理職。最悪の組み合わせである、この組み合わせがなにゆえこの学校に起きたか、失敗から徹底的に学ぶ必要がある。僕がこの学校に異動を命じられて、何が可能か考えるとF先生の辿った経過が重く胸に迫ってくる。
追記 原発の破綻、年金原資による株価政策の破綻、民営化の破綻、いずれも政府はその失敗を認めず真剣に向き合うことはない。向き合うためには、「和解する教室」の生徒たちのように、集団、彼らの場合は国歌に対する愛着がなければならない。これが、現在の政権には全くない、あるのは肥大化する特権意識だけだ。それは、おそらく彼らの生育歴に深く関わっている。
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