糞の役にも立たない官僚、面白くも可笑しくもない |
ところが、担任の教師が変ってからも、自分のいたずらに対して、相変らず正直に手を挙げていたら、その教師は正直でよろしいと云って、私の成頒表に操行百点と書いた。
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ある期末の歴史の試験の時のことである。問題は十問ほどあったが、私には殆ど出来ない問題ばかりだった。・・・
私は全くお手上げだった。私は窮余の一策で、十問目の「三種の神器について、所感を述べよ」という問題だけとり上げて、答案用紙に三枚ほど勝手なことを書いた。その内容は、三種の神器は、話にはいろいろ聞いているが、この目で見たわけではないから、所感を述べよ、と云っても無理だ。八咫鏡にしても、実物は誰も見た者はいないのだから、本当は四角かも知れないし、三角かも知れない。私は、自分の眼でしっかり見たものについてしか語れないし、証明されたものしか信じない、というようなものであった。
ところが岩松先生は、その歴史の答案に採点して生徒達に返す時、大きな声で云った。
「ここに一つ、変な答案がある。私の問題の一つについてしか答えていないが、それがなかなか面白い。私は、こんな独創的な答案は初めて見た。こいつを書いた奴は見どころがある。百点だ。黒澤 !」
と、その答案を私の方へ突き出した。皆、一せいに私を見た。私は、赤くなって暫く動けなかった。
昔の先生には、自由な精神を持った、個性豊かな人物が沢山いたのである。
それに較べると、今の先生は、ただのサラリーマンが多すぎる。いや、サラリーマンというより、官僚的な人物が多すぎる。こんな先生の教育は、糞の役にも立たない。第一、面白くも可笑しくもないだろう。
1984年 黒澤明『蝦蟇の油』岩波書店
あるとき職員会議で、校長から神社参拝させるという提案が出た。そうしたら金子先生が、何か効果がはっきりしたらやったらいいじゃないですか、神社参拝したらどういう効果があるか、と言っちやったらしい。そうしたら校長がえらい困った。時局下で監視が来ているでしょう。それで開先生が立ち上がって、「多分、きみそれはあれだな、うっかり言ったんだな」と言ってとりなしたという。しかし、結局みんな追われちゃったらしいんです。
1982年 斉藤喜博 『聞く』明治図書
斉藤喜博が師範学校学生であった頃の出来事である。時局下の監視とは配属将校の臨席である。戦中戦前の学校教育を受けた教育者や文化人の回想を読むと、意外なことに個性的な教師に恵まれた人が多いことに気付く。
糞の役にも立たない官僚的教師の跋扈はどこから始まったのだろうか。
学校の官僚化を象徴するのが、入学式や卒業式の式次第だ。卒業生や保護者に向けて、おめでとうございますの挨拶もない。ぶっきらぼうに、開会の辞と閉会の辞に挟まれて、国歌斉唱や校長式辞が並び、教育委員会告示までが挿入されている。これがあるお陰で、教員は卒業とは何か、学校は誰のものなのかを考えない。保護者は式の何処にも登場しないことのおかしさを議論しないで済む。式次第のかげには通達のもたらす形式がある。
形式は、人間の思考を眠らせ腐らせる。式次第から匂うのは肥大化して硬直化した「官」と、消えかかる「私」。
普段はお喋りとイタズラにに余念のない反抗的生徒が、卒業式では神妙にしているのも気に入らない。 黒澤明の担任が「正直でよろしい。操行百点」と書く余地もない。一貫性があれば、正直でよろしいと言えるが、場が変われば恐れ入るのはただの調子者に過ぎないからだ。その代表が元都知事であった。教員には君が代を強制しておいて、自身は「オレ歌わないもん」と言ってはばからない。文化的一貫性や自由な精神の見えない底の浅い作家であった。
戦中戦前の学校教育を受けた教育者や文化人たちが、個性的な教師に恵まれたのは何故だろうか。
彼らが接した教師たちは、大正デモクラシーの自由な空気の中で育った世代である。自由が生き方や仕草に染みついている。彼らが教壇に立つ頃、軍国主義的世相が押し寄せてきた。若いから反発も強い、一言どうしても出てしまう。
「何か効果がはっきりしたらやったらいいじゃないですか、神社参拝したらどういう効果があるか」と言っちゃった金子先生は、帝大出であり旧制高校的自由も享受していた。軍国主義教育の軽薄な非合理性は我慢ならなかったに違いない。金子先生とともに飛ばされたのは、帝大出の人たちであった。
対して 黒澤明が『蝦蟇の油』で「糞の役にも立たない」と腐した教師たちは、総じて団塊の世代以降。高度成長期にマスプロ教育で育ったから、行事も授業も効率と画一化が前面に出る。教室の壁や廊下にも点検表があふれた。定期試験問題の共通化や評定平均の統一までが画策された。「面白くも可笑しくもない」ことを真顔でやった。僅かな遅刻で女子生徒を殺し、ドライヤーを持ってきたと言い生徒を殴り殺したのはこの時代の教師である。
教師が殴りたがり、点検したがるのが、その教師の生育背景に由来するとしたら、殴られる少年たちの怒りのやり場はない。どんな育ちのいかなる教師に教わったとしても、青少年たちが保証される教育の最低限を規定したのが、旧教育基本法であり子どもの権利条約である。
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