成績の悪い生徒たちにこそ「ご褒美」

寒山拾得は仏教哲学に深く通じていたと言われる
 この国で、風狂の乞食坊主寒山拾得のような人物が愛され描かれ歌われることがありうるだろうか。一休宗純を思い浮かべるが、天皇の落胤である。日本人は人物そのものではなく、彼の家柄や来歴に関心を引き摺られてしまう。革命の歴史経験を持たない悲しさである。
 
 僕は臍も旋毛もが曲がっている。名門や閨閥の気配を感じると体全体が拒否反応をおこす。nhk大河ドラマの類は見たくない。「名門や閨閥」はなんやかんや言っても「やっぱりスゴイ」と言うのが、大河ドラマの一貫した主題であった。出演する俳優も嫌な奴に見えてしまう。
   意図して名門や閨閥を遠くに置かなければ、貧しく虐げられた者の表情は見えない、いや普通の人々さえ視界から消えてしまう。TVや雑誌を漫然と見れば、「血筋」のいい人間ばかりが意識に刻まれる。そればかりか、有名人は皆どこか「血筋」がいいと刷り込まれてしまう。
   設立の由緒や古さにおんぶしてお高くとまっている学校の周年記念誌は、いずれも見るもおぞましい構成である。明治開校以来の各界頂点に位置する卒業生の名前が、仰々しい写真付きでいきなり出てくる。例えば、○○伯爵令夫人とか×○提督令夫人という類。本人に功績があるのならまだしも、血筋=家柄だけをいうのである。女性蔑視も甚だしい、それを「男女平等」を言うべき公的学校が誇るのであるから滑稽で醜悪である。こういうところに「憲法違反」は潜むのである。いちいち尖らなければならない。
 

 人は誰も祖先の中に、大泥棒も天皇も被差別者も持つ。十数代も遡らぬうちにその時代の全ての人が祖先になる勘定だ。もっと遡れば白人も有色人も人類全てが、たった一人のおばあちゃんに辿り着くことが遺伝学的に確かめられている。
 家系図は都合のいい系列だけを選んだもの。恣意的に一つの筋を取り上げて、他を切り捨てる。切り捨てられ忘れられる者の方が圧倒的多数なのだ。都合の良い繋がりだけを「万世一系」と偽って崇めさせる。それ以外の人々はあたかも存在しなかったように、人々の記憶から抹殺される。祖先を選別し愚弄して何が祖先崇拝だ。日本には歴史修正どころか偽造の伝統がある。
 もし親や祖父母が、一族・家族の中で名門校に進んだ者やメダルを取った者だけを何時までも可愛がるとしたら、子どもや孫は愚連たくなるだろう。

  「学期末、通信簿を渡される日はほんとうにつらかった。兄も姉も妹も、みんな成績がよかった。ことにみいちゃんは負けずざらいで、一番でなければ絶対承知できなかった。ところが私はいつも中の部で、とびきりよいのはひとつもなかった。父は子供たちの成績表をみると、「一番成績の悪い子にご褒美をあげよう。一番つらい思いを我慢しているのだからね」と言った。私はまったくそのとおりだと思うと、父の心遣いにまたベソをかいてしまうのだった
                                       長岡輝子『ご褒美は成績の悪い子に』

 女優・長岡輝子の父親は英文学者であった。そして自覚せざる教育者であった。彼のような人間を文部大臣や公選制教育委員に持てないこの国はつくづく不幸だと思う。
 成績の悪い生徒たちに、どんなご褒美を我々は準備することが出来るだろうか。←click
 目先の成果を競い、成績や素行が悪い者に罰ばかりを与えて、成績の良い子たちから隔離することだけを画策しているのではないか。愚者にも出来ることだ。だから愚か者を文科大臣にするのかと納得しそうになった。


追記 肝心なのは、成績や素行の悪い生徒が偶にいい成績を取った時に、ご褒美をあげるのではないことだ。イチローが国民栄誉賞を断った。当たり前である、彼は既に存分の「ご褒美」に浴している。全ての野球playerがイチローのようであったら、どのイチローも凡人あるいは成績の良くないplayerに過ぎない。彼が輝いて見えるのは、成績の悪い同僚の支えがあってこそなのだ。一番辛い思いをしている人たちに対する想像力を持たねばならない。これは労働者も同じである。成果を出せなくて、辛い思いを続ける人への配慮こそ管理者の役目である。

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