「学期末、通信簿を渡される日はほんとうにつらかった。兄も姉も妹も、みんな成績がよかった。ことにみいちゃんは負けずざらいで、一番でなければ絶対承知できなかった。ところが私はいつも中の部で、とびきりよいのはひとつもなかった。父は子供たちの成績表をみると、「一番成績の悪い子にご褒美をあげよう。一番つらい思いを我慢しているのだからね」 と言った。私はまったくそのとおりだと思うと、父の心遣いにまたベソをかいてしまうのだった」
長岡輝子『ご褒美は成績の悪い子に』
大正四年の東京。長岡輝子の父は英文学者であった。おそらく、多くの人がこの英文学者の気持ちを共感を以て受け止めるのではなかろうか。
パソコンで「底辺校」を画像検索すると、虚実ない交ぜの眉を顰めさせる画像があふれている。面白半分のつくられた画像には、ヘイトピーチに似た悪意を感じる。しかし確かに、KH高初日、3-4で初めに見た光景はこれらに遠くない。そしてWebページのかなりがその高校を「教育困難校」と決めつけている。だが決して「教育困難校」ではなかった。教育放棄校と言うべきである。我々教師が教育を放棄していることは確かで、彼ら生徒が「教育困難」なのではない。
一年生が二人つまらなそうにベランダに寝そべっていたことがある。授業中である、聞けば
『授業中に話してたら「殺すぞ」って、ショックで』と言う。二人は授業中うるさくなると、「静かにしなさいよ」とたしなめる側であった。教師は少なくとも、どうしてお喋りしていたか、聞かねばならない。授業の中身そのもので煩くなることは大いにあるのだから。それが嫌なら教員免許は返上せねばなるまい。
せめて長岡輝子の父は英文学者に共感できる教師たちが集まって、彼らの授業に精魂を傾けてくれたらと思う。
試しに「指導重点校」を検索にかけると、進学指導重点校や進路指導重点校ばかりが出てくる。たった一つ、生徒指導重点校に関するものが出てくる。←クリック
成程と思う。こんな取り組みをしていたら、教師は学習にに集中できない。僕なら、教頭を増員して、生活指導は校長と教頭に任せ、教員は授業に専念させる。それだけで、生徒たちとの対話的関係は形成される。教育委員会は、校長と教頭の煩雑な事務を免除する体制をつくる。むろん設備はSSH並に。成績のいい者にばかりいい思いをさせるな。
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