引き籠もりはいけないか、僕は励まし賞賛したい

『ポアンカレ予想』を解いたペレルマンは
現在も引き籠もる、キノコが趣味
 「私思うの、プータローでも引き籠もりでもいい。過労死したり、会社で犯罪に手を染めたりするよりずっといい。戦争で人殺ししたり、死んだりするより立派。きちんと進学して就職しろとは言えないのよ」定年間際の女性教師が、そう言ったのはもう15年前の事である。彼女は進路指導部長を務めていた。僕は強く同意した。
 取り壊し寸前の重厚な校舎には、リベラルな校風に相応しい風貌の人物があった。だが頻繁な強制異動を通して、リベラルな校風は一挙に消え、制服と偏差値が跋扈するつまらなぬ学校になった。そして引き籠もりは、病と見做されるようになった。

 「引き籠もり」そのものに
問題はない。「引き籠もり」の少年と、そうではない(部活に熱心で明るい)少年の断絶が絶対的に大きいことだ。他の社会(過去の日本や欧米)のようには二つの類型の間が連続していない。連続していれば深刻な問題を抱えた者も絶望しない。先頭を行く者と連続して会話出来るのだ。いま二つの類型の間がますます遠く離れてしまっている。(学校内でも学校間でも)あいだに挟まれた層が両極分解してしまった。その分解を促進したのは、学校の指導と脅迫だ。
 両極に離れて互いに姿も見えず声も届かない。互いの姿も声も届かなければ、理解し連帯することは出来ない。それが「政権」者の狙いである。


 彼らは怠惰な臆病者であるか。老後の資産に悩む老人を騙して粗悪なアパート経営に引き摺り込んだスルガ銀行従業員は、経営陣にとっては勤勉であったが、専門家としての自制心に欠けていた。オレオレ詐欺の若者は弱者に対しては不敵であったが、不正に対しては盲目であった。「モリカケ」問題で関係公文書を「破棄」・「偽証」した官僚は政権にとって「使える」という意味で能吏であったが、主権者にとっては臆病な公僕である。

 組織にとって活動的なこの「能吏」たちが、すべて徹底的に「引き籠も」る勇気を持つことを願わずにはおれない。

 結婚や子育てもままならない賃金・過労死ラインを超える労働・迫り来る戦争の危機に対して、怯え「引き籠もる」のはホモ・サピエンスとして真っ当な反応である。自らを死に導く指示に対して拒否の姿勢をとる青少年を、励まし支援すべきではないか。
 曾て我々の国は、天皇のため死んで帰ってこいと若者に告げ戦地に送り出し、無垢の市民を殺し放火し強姦することを勇敢と賛美した痛恨極まる経験を持っている。あのとき若者が「引き籠も」れなかったことこそ問題にすべきではないか。

 政治がなすべきは、「引き籠もり」の青少年と、そうではないと見える青少年の隔たりを具体的に埋めることである。
相談の窓口を設けることではない。そのためには賃金格差は補填し、公共住宅を整備し、社会保障制度を整えることである。つまり日本版現代ビバリッジ報告を早急にまとめ、「揺り籠から・墓場まで」の政策を短期間に実現することである。ナチスドイツと徹底的に闘い経済的に疲弊し気っていた英国に可能であったことが、現在のこの国に不可能なわけがない。現在と未来の生活の
隔たりがなくなれば、対話は可能になり理解は進む。引き籠もる理由は消える。
 引き籠もりを単独で政策対象にしてはならない、引き籠もりを含む政策でなければならない。個別の問題に限定すれば、そこに新たな隔たりや社会的分断を産む。 

 僕の学級に「引き籠もり」寸前の少年が、クラス替えで来た事がある。学年をまたいで断続的に彼の不登校は続いた。 彼は「先生なんかには、オレの辛い気持ちは分からないんだ」そう言って涙をこぼした。僕には判る気はしたが、為す術はなく途方に暮れた。(僕が引き籠もり気味になったのは
、高三から浪人にかけてであった。非常に辛かった。周囲の全てが壁に見え、深い谷に滑り落ちる気分に囚われた。だから引き籠もりの気分は少し判る)
 その彼を学級に導いたのは、級友だった。引き籠もり気味の少年を、その少年自身が考えている以上に心配する者たちがいて、なんとかしようと相談を繰り返していたらしい(放課後一旦帰宅して河原や土手に集まり、煙草を吹かしながら話し合ったという話を後から聴いた。少年にとって逸脱とは何かを考える格好のエピソードだと思う)
 彼らの結論は、既に練習の始まっていた文化祭の舞台に引きずり込む事だった。彼らはこう言った

 「やっぱりお前が入ってないと、何か抜けているようで詰まんないんだよ」時間をかけて口説き落としたのだ。はじめその話を聞いた時、いいアイディアだと感心したが、実現は無理だと思っていた。だがいつの間にか主役の一員として欠かせない仲間になっていた。恥ずかしげに照れながらの演技が印象に残っている。 
 社会的「引き籠もり」を耳にするたび、彼らを思い出す。教師や行政の目線や言葉による対策は乱暴で無効だとつくづく思う。


記  フェルマーの最終定理の証明を360年後完結させたAndrew wilesは、屋根裏に7年以上引きこもった。Marcel Proustは 3000ページ以上の大著『失われた時を求めて』執筆のため、死の直前まで引き籠もった。Yakovlevich PerelmanはFields賞も100万ドルの賞金も拒否して、今尚籠もっている。
 狩野亨吉も偉大な引き籠もりである。←クリック である。

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