栄誉から遠く離れて道楽する藤原成通と狩野亨吉  

蹴鞠にはいかなる賞賛も栄達も伴わなかった
 平安時代の公家藤原成通は、二千日間一日も休まず鞠を蹴り続けた。病気をしても寝ながら蹴り、大雨の日は大極殿で蹴るほどの鞠好きであった。父親のお供で清水寺に籠もったときは、清水の舞台の欄干を、鞠を蹴りながら渡ったと伝えられている。普段でも人の三倍は高く蹴あげた。ある日、鞠はつむじ風で吹き上げたように高く舞上がって、それっきり落ちて来なかったという。
 成通はまた、よほど身が軽く、忍者のように塀や垣根の側面を走ったり、屋根の上に寝て転げ落ちても、地面にすっくと立つという技もみせたらしい。鳥羽院から「おまえの早技はなんの役にも立つまい」とたしなめられると、「ええ、さして役に立つことではございませんが、急ぎ宮中に参内するときなど、ぱっと車に飛び乗れて便利です」と、悪びれもせず答えたという。
 この話を伝える『成通卿口伝日記』は 平安後期の僧聖賢の著。『続群書類従』に納められている。

 終いには大納言になったが、栄達が蹴鞠とは関係ないことは後鳥羽院の言葉でもわかる。一銭の得にも出世にもならぬことに、夢中になるのが「遊び」である。蜘蛛合戦からビー玉まで「遊び」は多様である。日が暮れるのも腹が減るのも、忘れて遊ぶ。山登りや探検も金と時間を浪費するだけの遊びであり、謂わば暇人の道楽であった。それがいつの間にか「飲む、打つ、買う」に収束してゆく。ただ好きで夢中になるだけでは、満足できなくなる。金銭や賞賛に結びつかないことは、淘汰されてしまう。

 慶応元年生まれの狩野亨吉は、相当に
本を読んだ。専攻は数学や物理そして哲学と歴史であった。蔵書はいつの間にか10万冊に達したが、自分では書かない。
 誘われて五高教頭を務めた後、僅か34歳で一高校長となり、続いて懇願され京都帝大文科大学の初代学長になるが、神経衰弱を口実に僅か一年で退官。いずれの場合も、短期間の間に後々まで伝えられる学風を残している。僅か15年の学校勤め以後、定職にはつかなかった。1923年東京大塚坂下町の長屋に「書画鑑定並びに著述業」の看板を掲げ、古典と春画の収集研究に打ち込む。一貫して眼前の栄達を、ことごとく退けた。
 それでも知人たちは、狩野を東北帝大総長に押したが固辞。皇太子の教育掛に推されても、「自分は危険思想をもっているので、王者の師傅に適しない」と断る始末。それもそのはず、一高在任中の1899年安藤昌益の『自然真営道』を神田の古本やで見出し、安藤昌益をアナーキーな社会思想家ととらえていた。惜しいことに焼けて残っていない。 
 正木ひろしは「狩野先生こそ本当の国宝的人物だ」と評した。そう、ディオゲネスと並べていい人物である。国家から意識的に離れて自由に、金銭にも賞賛にも結びつかないことに打ち込んだのである。
 僕は狩野亨吉と、蝶を優しく見つめるゴリラは似ていると思う。餌に釣られず、一銭にもならぬことに執着して風格がある。「
王者の師傅に適しない」と 教育掛を辞したが、狩野亨吉の生き方そのものが、既に王者の風格を持っている。
  
 半世紀前まで、昼休みの校庭は遊ぶ子どもでごった返して衝突する程だった。みんなが遊びの王者であった。教師の監視から自由な遊びの王者たちの存在が、いじめを抑制していた。だいぶ前から、昼休みの校庭は閑散としている。小学生までが、様々な全国大会優勝を目指して鎬を削り、遊びを忘れているからだ。

 全日本学童軟式野球が始まり、松坂大輔が「優勝を目指して最後まであきらめずに頑張ってください」と言ったと新聞は伝えている。残忍だと思う。「優勝」などに釣られず、自他に手加減する優しさが、少なくとも小中学生や高校生には必要だと思う。
 全ての野球少年が甲子園を経てプロになれる筈はない。自在に興味を転じて適性を動的に保つ必要もある。音楽や文芸や科学に才能を持つことに目覚める子もある。諦めて頑張らない経験が必要なのだ。新聞社や指導者は、みんなが頑張れば、儲かるし手柄になるだろう。体を壊し足り過労死するほどの頑張り方を、回避する習慣を知らねばならない。高校生だってそうだ。このことと、絶えることのないヘイトスピーチは、直に関係している。自分も相手も自在に変化する快感を経験すれば、取るに足りない優越性に浸ることはない。

 ローマ帝国の
剣闘士は、大観衆の歓声の中で殺し合いで勝たなければ生き延びられなかった。平安時代の蹴鞠は、大観衆の歓声も栄誉もなかったが、お陰で平安時代の日本に、死刑はなかった。
 

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