愛はすべて不器用である。器用な愛などある筈がない

中曽根康弘がTVにでると、スリッパでひっぱたいている
 愛はすべて不器用である。器用な愛などある筈がない。
 子供を愛しても、親を愛しても、どんな人を愛しても、地球を愛しても、そこから素晴らしい結果が生まれることはあり得ない。
 夢想の中では愛は器用である。どんなに大掛りな期待も、必ず成就されて、裏切られることはない。
 その夢想は屡々崩れずに現実の中へ流れ込むが、その時愛は突然ぎこちないものになる。それを承知で人を愛し物を愛するのは愚かである。
 悧巧に生きていたければ、自分に厳しく愛することを禁じなければならない。
それでもなお、夢想の中で横柄に育った愛は、退くことを知らずに愛する。ひたすら不器用に」串田孫一『 不器用な愛 』
 串田孫一は、若い頃から山を愛し思索した。1965年から1994年までFMラジオ番組「音楽の絵本」←クリック で自作の随想や詩を読んだ。ビバルディ協奏曲第4番「冬」の第二楽章の暖かな調べに乗せた穏やかな語りを、僕は高校生の頃から30年間聴いてきた。どんなに刺々しい怒りを溜めた日も、彼の語りを聴けば心穏やかになった。だから彼が、「中曽根康弘がテレビにでると、スリッパで顔をひっぱたいている」と語った時には、驚きもしたが力づけられ妙にホッとした。串田孫一は串田万蔵(三菱銀行会長)の子でもあるからだ。

  ある年の5月5日にはこう語っている。

    端午の節句の人形どもは / どれもこれも勇ましい連中だから / そこに鍾馗が髭ぼうぼうの顔で並んでいても別段不似合いではない / しかしその剣は外した方がいい /  疫病神を追い払うのにそれはいらない / 君は優しい筈である
  「中曽根康弘がテレビにでると、スリッパで顔をひっぱたいている」と語ることと、「愛はすべて不器用である」と語ることは、「その剣は外した方がいい /  疫病神を追い払うのにそれはいらない / 君は優しい筈である」を媒介にして、見事に調和している。

  目連の母親青提女の逸話【目連は釈迦の弟子、神通第一と言われた。ある日、亡くなった実母である青提女が天上界に生まれ変わっているかを確認したところ、青提女は餓鬼界に堕し地獄のような責め苦に遭っていた。驚いて供物を捧げたところ供物は炎を上げて燃え尽きた。目連は釈迦に相談する。釈迦は亡者救済の秘法を目連に伝授し、目連は教えに従って法を施すとたちまちのうちに母親は地獄から浮かび上がり、歓喜の舞を踊りながら昇天したとことになっている。青提女は、多くが飢えている中、幼い目連だけに食事を与えた、それが業となった、その報いにより餓鬼道に落ちたわけである。こういう話もある。青提女は目連のため、一心不乱に働き、量目をごまかす悪徳商法や阿漕な貸金業に手を染めていたと】は、いずれも、後に中国仏教で加えられたものだが、一途で不器用な愛が何をもたらすかを示唆している。

 愛は計画出来ない。恋愛を、出会い頭の事故に例えたり、天使のいたずらのせいにするのも、それがなぜ起こったか合理的な説明が出来ないからである。好きになったばかりに、賞や成功の機会を逃してしまうことはざらにある。祖父母や子どもの病状が急変して、慌てて駆けつけ大儲け出来なくなったり全財産を失ったり、資格がフイになったりもする。好きになったばかりに、相手を殺す羽目に陥ったりもする。一途に思い詰め、周りも相手も自分自身さえ見えなくなるからだ。都合のいい時だけに、愛を設定することはできない。
  「五族協和」や「八紘一宇」も、当時の日本なりの思い上がった東洋支配への「愛」であった。いや明治維新の「四民平等」さえ傲慢な差別社会への「愛」でしかなかった。植民地主義のお先棒を担いだ教会も「愛」を掲げずにはおれなかった。まさに「夢想の中では愛は器用である。どんなに大掛りな期待も、必ず成就されて、裏切られることはない」

 愛は計画できないと同時に、計画出来るものは愛ではなく夢想に過ぎない。だから「夢想は屡々崩れずに現実の中へ流れ込むが、その時愛は突然ぎこちないものになる」。
「五族協和」や「八紘一宇」が、現実の政治過程に転化するや否や「愛」は支配や搾取の暴力性をむき出しにする。満州開拓の「理想」は中国農民の土地略奪であり、抵抗する者への弾圧殺戮であった。それでも「五族協和」や「八紘一宇」を信じる者は、ただの愚か者である。「夢想の中で横柄に育った愛は、退くことを知らず」一億総玉砕を叫んで死んだ。

 明治150年を迎えて、「あれは、見事に計画された器用な、東洋に対する愛であり、夢想ではなかったのだ」とTVも新聞も言い始めている。耳を眼を覆いたくなる。
  串田孫一は「断想集」で

人類は結局愚かであった。もう結論は出てしまった。人類は悧巧ぶることは出来たが、そのために悧巧になれなかった」と書いている。

    2020年五輪と戦争出来る国家体制目指して、「夢想」は「どんなに大掛りな期待も、必ず成就されて、裏切られることはない」よう計画され、都合の悪い事実は次々に隠蔽されている。

   学校もこの計画に、優等生として組み込まれて身動きもならない学校はもともと「愛」や「器用」な計画性に染まりやすい世界である。夢想が横柄に育ってしまうのである。学校や若者を救うのは、「愛」や「器用」な計画性からの逸脱である。不良精神を忘れるな。

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