救癩とは、患者を多く殺すこだ。・・・ぼく(沖縄愛楽園早田園長)は任期中に百何名か殺した、だから金鵄勲章もんだ

治療はなくても解剖は行われた、瓦礫の中での「報国」
  「救癩」の父にして絶滅隔離の発案者、光田健輔は自らの仕事を戦時体制にも関係付けている。
 「軍人は国のために屍を満州の野に晒すを潔しとし、進んで戦場に赴いた。同じく癩患者も村の浄化のために、・・・進んで療養所に行かなくてはならない」 藤楓協会編 『光田健輔と日本のらい予防事業』

 進んでハンセン病療養所に入って何をするのか。
   沖縄戦下のハンセン病療養所沖縄愛楽園では。三百名弱が死亡した。

 「早田園長が、ぼくは救ライに大きな功績を残した、・・・救ライということはライを撲滅させることだから、患者を1人でも多く殺すことは救ライにつながっているんだと。・・・ぼくは任期中に百何名か殺したと。だからこれが戦後、金鵄勲章もんだといってですね、いばるんですよ」 『沖縄県史10巻沖縄戦記録 2』 p965
 「冗談だったのかも知れないが、きつく響いた」と証言者は、続けている。 しかし早田は那覇大空襲では 
敵の爆弾で負傷し、日本の薬で治療するとは何事だ。利敵行為ではないか
と発言しているのだ、これが医者の冗談と言えるか。
 
生産力・兵力として力を発揮することだけが価値あることで、健康に欠ける者は社会に負担を強い、害を及ぼすものとされたのである。
 従って療養所医師の役目は治療を施すのではなく、「患者を1人でも多く殺すこと」であった。患者からみれば、一日も早く死ぬことが、「報国」であったのだ。
 「(1939年)5月・・・少年寮に入れられました。少女寮や学園もありました。国の定めた学校ではありませんが、生徒は男女40人ぐらいいて、教室は三つ。どの教室も複式学級で、3人の先生も皆同じ病気(ハンセン病)の人でした。子供たちにもいろいろイヤなことがありました。特に私がイヤだったのは、「文化人」や僧侶たちの講演でした。講演会があると、子供たちは会場の最前列に坐らされ、逃げ出すこともできません。話はきまって「お前たち患者は戦争の役に立たないどころか、じゃまな人間だ。非国民だ。日の丸の汚点なんだ」というのでした。私は子供心にも、ずいぶん悔しく思いました。
 翌年春、私も内緒で迎えにきた姉の手引きで全生園を脱出しました。「あそこは人間の住む所じゃねえ」と言う父のいいつけでした」谺雄二 
谺さんは、1999年原告として東京地裁に「らい予防法人権侵害謝罪・国家賠償請求訴訟」を提訴した詩人である。
 たかが療養所職員の異動や昇進昇格の祝いにまで、子どもを並ばせ欠席は許さかった。座った子供の目の高さに、壇上のエライ人や職員のスリッバが見えたという。常に一段低い場所に置かれたのである。
 エライ人は、「お前達は役立たない」と言うたびに、自分が美しき皇国の股肱である気分に浸れた。根拠のない優越感に浸るために他を見下げ毀損する。これは、人間関係から国家関係に至るまで対等平等の視点を持てない近現代日本のアジアに対する一貫した姿勢でもある。  

  「映画会の時など、礼拝堂の一段高い席にいた職員の子どもたちから、落花生のカラや、キャラメルの空き箱を投げ付けられたり「かったいは、汚い、臭い」と蔑まれたこともあります。一段高い職員席には、分厚い木の欄干があって、患者は立ち入り禁止だったので、私も他の子どもも一言も言い返せず、くやし涙をこぼしました」 冬敏之(作家)
             
 戦時下、子どもたちは、少年少女団に組織された。下着にも不自由するというのに、国防色のお仕着せ・靴下・靴だけは救癩団体が支給。引換に皇族や名士が来る度に並び、頭を下げ、万歳する。木枯らしでも炎天下でも同じ団服の下は、ボロボロの下着。神経を傷めて立つのも大変な足で、長時間整列。皇居遥拝は敗戦まで毎月、その上病人で子どもだというのに教練が月に二度あった。沖縄戦下の愛楽園の子どもたちは愛楽突撃隊に組織され、日本精神徹底と戦意高揚の掛け声で、防空壕堀と修理、開拓や草刈りなど重労働に狩りだされた。
 院長や職員は、団服に身を整えた、規律正しい少年少女団員たちを、よく管理され平和な全生病院のシンボルとして、ショーウインドウの人形として外来者に誇らしげに見せつけたが、それらの少年少女たちが「病気を持つ子供」だということを本当に考えたことがあっただろうか。                    
 行事から逃げる知恵や術のない従順な少年たちは、体を痛めて青年になる前に死んだという。おまけに、式や行事の「主催」だけは少年団というイカサマもあった。「主催」とは、お国のため療養所のため自らすすんで叱られ蔑まれ、病気を悪化させ、一刻も早く死んで国土浄化のお役に立つことに他ならない。
 療養所では、子どもの親権者は園長であった。その園長の官舎一棟建設に、療養所全体の家屋建築予算の一割もが使われた。親権者である園長は、「聖者」と讃えられ豪勢な住宅の温かく柔らかな布団に包まれた。「日の丸の汚点」と罵られ病状悪化に苦しむ子どもは重く湿った煎餅布団で寂しく死を迎える。この非対称的現実こそ、若き林医師賞賛の「楽園」の構図であった。
 

   僕は「アスリート ファースト」を聴くたびに、胸くそが悪くなる。ここには、人間には役立つ者と役立たない者があり、役立たない者の価値は認めないという思想がある。
 ハンセン病者を差別し続けた100年を思い出す。なぜ、人間優先と言えないのだ。メダルを量産する競技選手を優先して、「生産性」のない国民を揶揄する言葉が堂々と新聞やTVで流されている。戦時下と同じ雰囲気が満ちている。あろうことか国会議員や閣僚が「生産性」のない社会的弱者や少数者に向かって「いつ死ぬのか」「早く死んでいただきたい」などと言う。重大な憲法違反である。
 憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務」を負う知らないとでも言うか。
 オリンピック招致は、一体どこで決めたのだ。都民も国民も知らぬ間に、「招致委員会」が勝手に招致したのである。
誰が招致委員会を選んだのだ。勝手に出かけて、勝手に招致しておいて、「おもてなし」と浮かれながら他人の財布に手を突っ込むのは掏摸である。犯罪である。招致委員の個人財産でオリンピックはやれ。福祉予算や医療費に手を付けるな。弱者を苦しめて何がスポーツの祭典だ。何が子どもたちの「夢」だ。招致関係者は、子どもを山車にしていつの間にか自分たちの夢=事務所の建て替えまでやっている。


追記 冒頭の写真は、爆撃後の沖縄愛楽園での解剖。真ん中で執刀しているのが早田。患者は死んで初めて「報国」出来たことになる。しかし解剖がどれだけ行われても、治療には生かされていない。

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