ピエロも自己表現に向けて団結する

米俳優の労働組合“SAG-AFTRA”の声優たちは
1年に及ぶストライキを打ち抜き勝利した

 桑原武夫が鶴見俊輔と「開かれた日本語」という対談をしたことがある。彼は日本では「子どもの名前は親の独創性を示す芸術」と思われているが、ふりがなを付けなければ読めないのはおかしいのではないかと疑問をぶつけた。

鶴見 日本の教育のなかで綴り方というか、子どもの自己表現の場をどんどん減らしているでしょう、小学校、中学、高校、大学まで……。それと関係があるような気がしますね。子どもが自分のほうから書く文章というものを尊重していって、そういう時間をたくさんつくっていけば、初めは漢字をたくさん知らないわけですから、少ない漢字を使いこなしたいろんな文章を書いていくはずです。ところがその時間を減らす。それから試験の答案を全部○×式にマルティプル・チョイスでやりますね。そうなってくると、日本語を自分の側から自発的に使うということが狭められてきますからね。
 ・・・子どもの自己表現を重んじるという教育観が大正時代にはじまったんだけれども、戦争時代にちょっと薄れて、また復活してきたのに、日本が豊かになってきてからだんだん押されてきているんですね。これはいいことじゃないと思います。自己表現というのは、教育者として採点するのに困難で、教師が自分の器量で採点するほかないから不安なんでしょうね。だから機械をとおして採点させるわけだけれども、その機械をとおして採点させるのが科学的だという、その信仰があまり科学的根拠がないのでね、困ると思うんですよ。
                   『言語生活』1981年7月号

 親の自己表現の機会が何処にもなくなってしまった。人間的価値を優先する「宗教教育」が「宗派教育」の胡散臭さに敬遠され、親に残された表現は自分の子どもの名前と学校歴だけになってしまった。
学校歴は能力がなければ自由にならない。それ故子どもに「悪魔」や「王子様」と名付ける事を自己表現代わりにする者が横行する。手引き書や自称adviserも現れて親の見栄と不安を煽る。
 学校が論文や作文などの表現に臆病になり漢字を使う機会を減らしてしまった事が、その元凶であるという指摘は胸におちる。江戸時代には豊かであった色に対する感覚までが、衰弱し切り日常の色彩用語はカタカナに覆い尽くされている。

 自己表現を重視すれば「教師が自分の器量で採点するほかないから不安」になる。己の採点の自由な根拠が奪われているためである。自己表現する自由のない者は、弱者の表現に神経質になり弾圧に手を貸しがちである。

 笑いも報道も教育もその表現の本質は「権力批判」に尽きる。笑いの現場から「権力批判」が禁じられたとき、どうなるかを「吉本騒動」は示した。表現の中身で笑わせることが出来なくなった芸人は、仲間内の秘密を暴露したり弱い立場の芸人をからかい小突き、ひたすらドタバタして可笑しくもないことをずっこけて見せ大声で笑うしかなくなっている。笑いを禁じられた芸人の悲しみをピエロは表している。


 バラエティ番組『夢で逢いましょう』は1966年迄、『シャボン玉ホリデー』は1972年で打ち切られ「権力批判」の笑いは電波から消えた。
 大森実が「米軍の北ベトナム・クインラップのハンセン病病院を爆撃」のスクープを報じたのが65年、毎日新聞が米大使館に屈して大森が退社したのは66年。日本の紙面から体制批判の姿勢が遠のく。
 管理主義教育のメッカとなった愛知の東郷高校は68年に設立されている。教頭法制化が74年 主任制が75年。教室から批判精神の息吹が聞こえなくなる。
 権力批判が、この時期に様々な分野で封じ込まれた。何事にも惰性や余力はあり一気に進むわけではない。
 『夢で逢いましょう』や『シャボン玉ホリデー』を担っていた人々が寿命を迎え、管理教育に抵抗する世代が引退、報道が広告代理店に支配され言論人が姿を見せなくなって、一気に事態が悪化したように見える。しかし事態はゆっくり慢性病の様に深く進行していた。
 桑原武夫のようにそれを子どもの名前の付け方に発見し注意喚起しても、大方は笑うだけで僅かに鶴見俊輔が応じる程度であった。大勢が「危機感」を露わにしたとき、日本は既に骨の髄まで病に冒され死に体。若者はオリンピック絡みのスポーツに意識も身体も支配され身動きならず、意識の覚めた者は仕事を奪われ生活の糧にさえ困窮し身動きならない。誰も彼も「自己表現」を忘れたかのようだ。恐ろしくてそれを言い出せないでいる。


  合州国には、SAG-AFTRA(Screen Actors Guild - American Federation of Television and Radio Artists「テレビ・ラジオ芸能人と映画俳優労組」があり、組合員は16万人。劇場やテレビはSAG-AFTRAと労働協約を結ばなければならない。だから、強大な映画会社やTV局とも対等に交渉することができ、俳優らの権利が向上し自由な政権批判も出来る。そればかりではない、吉本のような芸能事務所が巨大な支配力を持たないよう、その機能は分離制限されている。(タレントのスケジュール管理や世話などの「マネージャー」業務、仕事斡旋や契約などの「エージェント」業務、事務所が企画・制作など「プロダクション」業務が法律によって分離されている)
 

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