クールジャパンは、日本嫌いを大量生産する / 漱石は「三四郎」で根拠のない日本礼賛に警鐘を鳴らしている

八雲は日本人を天使であるかのように書いて気が狂いそうになった
 上京する三四郎が、広田先生と汽車で向かい合っている有名な場面がある。
  「・・・まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」・・・
  三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
 「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
 「滅びるね」と言った。・・・  ――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。・・・
 「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
 「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。
 「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」
 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと悟った
 
 漱石は五高でも東大英文科でも、小泉八雲の後任であった。ことある毎に学生から、小泉八雲と比べられ些か辟易していた。八雲が五高で教えていた時には日清戦争があり、三四郎が五高生の時日露戦争という塩梅である。日本の「偉業」に沸き立つ学生に、八雲の日本礼賛は心地よかったに違いない。
 広田先生の言葉は、流行の日本人礼賛には実体がない事を揶揄して、視野の狭い世間や学生を批判している。
   「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」は、八雲にあてた言葉でもある。
   「この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと悟った。」は、学生と日本人に期待した態度である。
 

 東大で八雲の同僚であったバジル・ホール・チェンバレンも『日本事物誌』で
 「来日後、数年の間、彼(小泉八雲)の日本熱は異常なほど昂進した。ハーンは神々の国を発見し、彼の『知られぬ日本の面影』は日本を手放しで絶賛したが、その日本なるものは、実は彼が自分は見たと勝手に思いこんだところの日本にしか過ぎない」と釘を刺している。

 授業が始まって、三四郎は広田先生の家に下宿している学生と知り合う。そこに小泉八雲の事が少しばかり出てくる。

  「赤門をはいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生は教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたかも小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、
 「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた
 小泉八雲が逝去したのは1904年、『三四郎』脱稿は1908年である。汽車の場面が、八雲の日本観への批判であれば、ポンチ絵の男の言葉は、同僚教師八雲の振る舞いへの不満である。 

 
『古代の豊かさを現代に』のなかで鶴見俊輔は
 「非常に感心して日本だけを研究した人は、ある時期を過ぎると反動が起こって日本をものすごく嫌いになる」と語っている。その筆頭が小泉八雲で、彼は後に
 「日本人を天使であるかのように書いた事を考えると気が狂いそうになっ」て日本から脱出しようとしたことをあげている。

 前出のチェンバレン自身、初めは日本に感銘した日本研究者であったが、後にこう書くようになる。

 「東洋人が楽器をギーギー鳴らしたり、声をキーキー張りあげるのは、音楽といえたものではない。だがあの低級な代物をもし音楽と呼ぶことが許されるならば―それはこの美しい語を汚すものであるけれども―もしそれならば、音楽は神代の昔から日本にあったと言ってよいだろう。・・・なにとぞ二十一世紀が来るまでに、三味線、琴、その他あらゆる種類の和楽器が薪に化してしまうことを切に望む。そのお蔭でもし貧乏人が暖を取ることが出来たなら、その方が本来の目的よりも、余程有用な目的に役立つ」『日本事物誌』

 日本に長く友情を持ち続けた文化人、例えばバーナード・リーチは、朝鮮や中国や中東にも関心を持ち、日本に対する相対的で安定した評価を形成していた。

 いま日本政府自体までが、アジアを見下し中国・朝鮮を敵視して鼻持ちならない。偏狭でデマに満ちた組織は、善意の友人を落胆させ離反させるのが常だ。オリンピックの終了と共に反動は一気に押し寄せるだろう。
   漱石が広田先生に言わせた言葉は、時を超えて現代の日本をも照射している。やはり希代の文豪である。

記 政府のクールジャパン戦略は経済産業省にクールジャパン政策課を置き、官民ファンド「クールジャパン機構」を派手に打ち上げて始まったが、早々と2017年3月末時点で約44億円もの損失。出資金693億円のうち、586億円が政府による出資となっている。設立から4年が経過した時点で投資案件の4割が赤字累積状態。

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